韓国に残る日本統治時代の建物を訪ねる旅をしてきました。
場所は日本に近い釜山と、日本海軍の拠点だった鎮海です。
当時の建物をめぐってみると、「歴史的な観点から保存しているもの」「文化的な価値を踏まえて活用しているもの」と、「単に建物としての機能を果たしていて、結果的に残っているもの」がありました。
論より証拠。写真をご覧ください。
<釜山近代歴史館>
植民地政策を担った東洋拓殖株式会社の釜山支店として1929年に建てられたもので、戦後はアメリカ文化院として使われていましたが、返還後の2003年に歴史館としてオープンし、近現代史の教育の場として活用されています。
訪れたときも校外学習の生徒たちが大勢いて、課題に取り組んでいました。
<臨時首都記念館>
1926年に慶尚南道の知事官邸として建てられたもので、その後、朝鮮戦争で釜山が臨時首都になった際、大統領官邸として使われました。
現在は朝鮮戦争当時の政治や人々の暮らしを紹介する展示館となっています。
<文化共感 水晶>
釜山にある1943年に建てられた日本家屋です。日本人観光客向けの料亭を経て、2016年に文化施設としてオープンしました。他の木造家屋と比べると、保存状態は非常に良好でした。
ロケ地としても有名なためか、若い韓国人に人気のスポットとなっているようで、皆さん思い思いのポーズで写真を撮りまくっていました^^
<旧百済病院>
1922年に病院として建てられたもので、釜山駅の近くにあります。もっとも、病院だったのは最初の10年だけで、その後は中華料理店や結婚式場などとして使われていたようです。
現在は内装をリノベーションしたうえで、1階がカフェ、2階がアートギャラリーとなっていて、カフェは若い人たちでにぎわっていました。
<ムルコンシクタン>
釜山にあるこのアンコウ料理専門店は、80年前に建てられた日本家屋で営業しています(韓国風に改装してあります)。
店主らしき女性に片言のハングルで「こちらは日本家屋ですよね」と聞いたところ、「いいものを見せてあげる(=私の意訳)」と2階の座敷を案内してくれました(下の写真)。
後編に続きます。
※いつものように個人的なコメントということでお願いします。
ブログを読んで面白かった方、なるほどと思った方はクリックして下さい。