16. その他

コメント掲載の一時休止

コメント欄を今後どう運営するか、多少お時間をいただき、
考えてみることにしました。
このため、しばらくの間、コメント掲載を休止といたします。

ブログのほうは引き続き週1回程度のペースで書くつもりです。
よろしくお願いいたします。

 

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山田方谷

 

あけましておめでとうございます。
横浜は例年になく暖かい新年です。

年末に岡山県の備中高梁を訪れました。
ここにある備中松山城は、天守が現存する
12城のうち最も高いところにある城だそうです。

最近では「天空の城」として、竹田城とともに
城マニアの人気を集めているとか。

旅の醍醐味は現地での出会いです。
たまたま出会った当地の皆さんだけではなく、
歴史上の人物との出会いもあります。

寿司屋のカウンターで地元のかたと語らうと、
幕末に活躍した山田方谷(ほうこく)のことを
誇らしげに紹介されました。

山田方谷は幕末の備中松山藩の学者で、
財政破綻に陥っていた松山藩を立て直し、
藩政改革を果たした人物です。

当時の松山藩の財政は、4万両の収入に対し、
7万両を超える支出という状態で、借入金が
10万両に達していたそうです。

方谷は当時の藩主である板倉勝静の要請で
農民出身でありながら藩の要職(元締役)に就き、
様々な改革を行って、見事に財政を立て直しました。

彼の改革は負債の整理(いわば会社更生法)や
倹約令だけではありませんでした。

例えば、藩札問題への対応です。
当時の松山藩に限らず、藩の財政が逼迫すると、
財政補填策として藩札が乱発されることになり、
物価の高騰や信用不安を招くことになりました。

そこで方谷は、信用を失っていた藩札を回収し、
新たに準備金の裏付けのある藩札を発行することで
殖産興業の基盤づくりを行いました。

殖産興業のため「撫育方(ぶいくがた)」を設置したのも、
長州藩の先例があったとはいえ、斬新な発想でした。
藩で生産した「備中ぐわ」「ゆべし」などの特産品を
江戸で直接販売し、利益を上げたのです。

武士が商人となり、藩が商会となるこの取り組み、
あるいは、先に紹介した藩札問題への対応をみると、
方谷が貨幣経済の進展を的確に捉えていたことが
わかります。

童門冬二「山田方谷」にはこんな話も出ていました。

「自分は王陽明の学問を学んでいるが、王陽明を
 全人格的に尊敬しているわけではない。王陽明は
 たしかに中国の名臣だが、その性格からかなりの
 失敗もしている。そういう点は私は学ばない」

日本人の価値観は短絡的で、「学ぶ人」と決めると、
その人を全人格的に呑み込まなければいけないような
気風があるところを、方谷はクールに見極めている。
長岡藩の改革で有名な河合継之助(=方谷に学んだ)は、
方谷のこのような考え方に感動したそうです。

山田方谷という人はもっと知られてもいい人物だと
思いました。

※写真左は備中松山城。右は藩校の跡地です。

 

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大連の旧跡めぐり

 

中国・大連の町を歩いてきました。

「大連」と言われてもピンとこないかもしれませんが、
「遼東半島」ならおわかりになるでしょうか
(日清戦争 ⇒ 三国干渉 ですね)。

もともとは小さな漁村だったところを、遼東半島の南部を
租借地としていた帝政ロシアが19世紀末に港を開き、
都市建設に乗り出したのが始まりです。

その後、日露戦争から約40年間、大連は日本の統治下
にあったため、当時の建物が数多く残っています。

中心部の「中山広場」という大きなロータリーの周囲には、
写真左の旧大連市役所(現在は中国工商銀行として使用)、
写真右の旧ヤマトホテル(今もホテルとして営業中)のほか、
旧横浜正金銀行や旧朝鮮銀行などの建物が並んでいて、
これは見ごたえがありました。

いずれも文化財に指定されていて、かつ、現役の銀行や
政府機関として使われているので、保存状態は良好です。
欲を言えば、内部を見学できるといいのですが、
これは仕方がないかもしれません。

旧満鉄本社も残っていて、今は鉄道局が使用しています。
建物の一部は資料館として見学ができました。

他方、こうした公的な建物ではなく、かつての商店街や
住居はだいぶなくなってしまったようです。
かろうじて残っている建物も老朽化がとことん進んでいて、
もはや時間の問題という印象でした。

 

写真はいずれも大連駅近くの通称「連鎖街」です。
かつては大連で1、2を争う繁華街だったとか。
左は「東京堂」という中国みやげのお店だったところ、
右は当時「心斎橋通り」と呼ばれていた通りです。

建物をよく見ると、昭和モダンの香りがしますね。ただ、
「80年前の建物を修繕せずに使い続けるとこうなるのか」
といった状態でした。特に裏通りはすごかった。

聞くところによると、地元の住民は郊外に移ってしまい、
この地域に住んでいるのは地方から出てきた人たち。
低所得層が住むスラム街のようになってしまったそうです。

町の背後に見える高層ビル群と対照的な光景でした。

 

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20年ぶりのハワイ

 

結婚直後に訪れて以来、約20年ぶりにハワイへ。

前回はプールにビーチ、シュノーケリングに買い物と、
ビーチリゾートを満喫するアクティブな滞在でしたが、
今回はパールハーバーにホノルルのチャイナタウン、
ノースショアの田舎町と、現地を知る旅となりました
(「買い物」は今回もあったようです^^)。

リゾートホテルが林立するワイキキの外に出ると、
米国におけるハワイの独自性のようなものが
観光客にもいろいろと見えてきます。

最初に挙げられるのは「民族」の多様性です。
混血が進み、何をもって「民族」と言うかはさておき、
多い順に白人系、フィリピン系、日系、先住民系、
中国系と続きます(自己申告ベース)。

最も多い白人系でも全体の1/4を占めるにすぎず、
ここまで多民族な社会は米国でも珍しいと思います。

日本人の私には、町を歩くと「MATSUMOTO・・・」
「TAKAHASHI・・・」という看板が目に入ります。

日系人はサトウキビやパイナップル・プランテーションの
労働者として、ハワイに移住してきた人たちの子孫です。
しかし、近年は新たな流入が少ないうえ、高齢化が進み、
減少傾向が著しいようです。

ちなみに、「サトウキビ」「パイナップル」というのも
もはや過去の話なのですね。

ハワイの人件費では新興国との競争に太刀打ちできず、
オアフ島にはドールのパイナップル・プランテーションが
残るのみ(観光バスが立ち寄るところですね)。
いま農業で盛んなのはコーヒー栽培だそうです。

最後に、米軍関連施設が多く、軍の関係者が多いのも
ハワイのもう一つの特徴です。
パールハーバーのほか、各地で軍用地を見かけました。

州の経済が観光と軍需に支えられているという点で、
沖縄に通じるところがあります。

※写真はチャイナタウンです。チャイナタウンといっても、
 中国系よりもフィリピン系やベトナム系が多いとか。

 

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ベトナム人は写真好き

 

ハノイではクラシックなホテルに泊まったのですが、
ウエディングドレス姿のカップルが次々にやってきて、
記念写真を撮っていました。

ホテルで聞くと、ベトナムでは事前に写真を撮り、
結婚パーティーで披露するのが普通なんだとか。

休日だったためか、絵になるスポットの前では
結婚写真を撮るカップルを何組も見かけました。

二人のポーズもすごくて、新郎が片膝を立てて
新婦にブーケを渡す、なんてのは可愛いほう。
こちらが恥ずかしくなるようなポーズもしばしばでした。

結婚写真に限らず、ベトナム人は写真を撮る
(≒自分が写る)のが大好きなようです。

 

 

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ハノイの旅

 

連休中にベトナムの首都ハノイを訪れました。
羽田便(ANA)ができて、行きやすくなりました。

5年前のベトナム旅行でも思いましたが、
町を歩くと、子供や若い人が多いように感じます。
それもそのはず、ベトナムの人口ピラミッドは
日本と全く違います。

米国CIAのThe World Factbookによると、
ベトナムでは0-24歳が人口の42%を占めており、
65歳以上の人は6%にすぎません
(日本は0-24歳が23%、65歳以上が26%)。

過去の日本と比べると、1975年頃に近いでしょうか。
日本の1975年といえば、戦後30年たったところ。
確かに子どもは多かったですね。
私は当時プレハブ校舎を体験しています。

今年はサイゴン陥落40周年ではありますが、
ドイモイという経済開放政策が始まったのが
1986年なので、そこから約30年と考えると、
日本の1970年代に近いのかもしれません。

ハノイを歩いていて、いやでも目に付くのがバイク。
3人乗り、4人乗りは当たり前という感じです
(5人乗りも目撃しました)。

交通インフラがあまり整備されていないうえ、
自動車が政策的に非常に高価ということもあり、
ベトナムではバイクは必需品です。

ホンダ製のバイクに人気があるためか、
ベトナムではバイクのことを「ホンダ」と呼ぶとか。
「今度のホンダはスズキにした」なんていう
よくわからない会話も聞かれるそうです。

バイクといえども、現地の所得レベルからすると
決して安くはないはずなのですが、バイクとスマホは
何とかやりくりしているようです。

 

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コンパクトなまちづくり

 

あけましておめでとうございます。
いいお正月休みを過ごされたでしょうか。

私は原稿書きに追われる年末年始となってしまい、
先ほど紅白のDVDをダイジェストで観ました(笑)

新年最初のブログは保険ネタではなく、
年末に訪れた富山の話です。

富山市は「コンパクトシティ構想」と言われる
中心市街地の活性化に取り組む市として有名で、
そこでは鉄軌道網をフル活用しています。

トラム好きにもかかわらず訪れる機会がなく、
このたび短時間ながらようやく実現しました。

富山市の「公共交通を軸とした拠点集中型の
コンパクトなまちづくり」の詳細はこちらをご覧下さい。
 
現在のところ、富山駅の高架化とともに廃止も
検討されたJR富山港線のライトレール化
(市街地は路面を走り、郊外は普通の電車に)と、
富山駅と中心部を周回する市内電車「環状線」
の整備はすでに実現しています。

左の写真は富山ライトレールの岩瀬浜駅で、
バスとの乗り換えが簡単な構造となっています。
右の写真は環状線です。
最近の路面電車は本当にスマートですね
(レトロな電車も走っていました)。

もっとも、北陸新幹線の開業が3月なので、
富山駅周辺はまさに工事ラッシュ。
南北が分断され、駅前も歩きにくい状態でした。

完成すれば南北の通り抜けが簡単になり、
ライトレールと市内電車もつながります
(今は北と南で分かれています)。

実際に乗ってみると、たまたまかもしれませんが、
どちらも利用者が結構多くて驚きました。

地方で車を使わない層というと、高校生以下、
あるいはシニア層というイメージですし、
確かにローカル線の客層はそんな感じです。
でも、そのような乗客の偏りはありませんでした。

環状線は観光客の利用も多かったみたいです
(とりあえず一周乗ってみようという人も)。

富山市のコンパクトなまちづくりについて、
評価するのはまだ早いかもしれません。
本来は財政面も合わせて見るべきでしょう。

参考までに、富山市が2011年に公表した中間報告
によると、

・路面電車の乗車人数は増えた(ただし目標は未達)
・中心商業地区の歩行者通行量は全体では減少
・中心市街地の居住人口は減少

となっています。中心市街地には高齢世帯が多く、
自然減が足を引っ張る結果となっているようです。

駅の整備が進み、公共交通がより使いやすくなると
結果はもう少し違ってくるのかもしれません。

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うだつの町並み

 

美馬市脇町のうだつの町並みを10年ぶりに訪れました。
徳島駅からディーゼル特急で約40分の穴吹駅で降り、
吉野川の大きな橋を渡ってしばらく歩くと脇町です。

「うだつ」とは隣家と接する二階に設けた小さな壁です。
本来は防火が目的なのですが、江戸から明治にかけて
藍の商売や吉野川の水運で栄えた脇町では、商家が
競うようにして立派なうだつを上げ、今に残っています。

うだつの町を歩いていると、どこからか香ばしい匂いが。
見ると、おばちゃんが店で田楽豆腐を焼いています。
匂いにつられて中に入ってしまいました。

一人で熱々の田楽豆腐を食べながら店内を見渡すと、
窓ガラスに赤い字で「横倉生活改善グループ」とあります。

横倉生活改善グループは、標高600mの山の中にある
横倉地区の女性たちによるグループで、当初は不便な
暮らしを少しでも良くしようという活動だったようです。

しばらくして豆腐作りが始まり、今では豆腐のほか、
田舎だんごや寿司などを生産し、地域ブランド商品として
うだつの町などで販売しているとか。

おばちゃんいわく、

「山の中だから、このままだと誰もいなくなってしまうし、
 なんとかしなくっちゃ、ということで始まったんだよ」

「最近は補助金目当ての団体もあるみたいでしょう。
 うちはそうじゃないよ。ちゃんとやってるんだから」

よくよく聞いてみると、グループ結成は1969年だそうで、
もう45年も続いていることになります。

そのうちグループの女性たちが集まってきました。
お客は私だけだったので、

「お客さん、どこから来たの?」「お茶を入れようね」
「だんご食べる?(=お饅頭のようなだんごでした)」

といった調子で、気が付いたら「くいしん坊!万歳」の
松岡修造さんのようになっていました^^

このところ地方に行くと、「歴史ある町の吸収合併」
「山村留学の休止」といった寂しい発見が続いていたので、
久しぶりに元気な話を聞くことができました。

 

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「日本一小さな村」のその後

 

息子から余った青春18きっぷを譲り受け(奪い取り?)、
飯田線の旅を楽しんできました。

飯田線は愛知県の豊橋と長野県の辰野を結ぶ
全長195キロのローカル線です。
駅の数が多いこともあり、全線を一気に走破しようとすると、
各駅停車で6時間くらいかかります。

さすがにそれは厳しいというか、もったいないので、
大嵐(「おおぞれ」と読みます)駅で途中下車。

この駅を選んだのは、歩いて15分ほどのところに、
日本一小さな村として知られていた旧・富山(とみやま)村
(合併により、今は豊根村の一部)があるのを知ったからです。

8時過ぎに豊橋駅を出発した2両編成の各駅停車は、
途中の中部天竜駅で27分も停車したりしながら、
3時間後の11時15分に大嵐駅に着きました。
次は13時14分発まで電車がありません。

大嵐駅は静岡県浜松市にありますが、駅を出てすぐの、
天竜川にかかる立派なつり橋を渡ると愛知県です。
しばらく佐久間ダム湖に沿った道を歩くと、旧富山村の
集落が見えてきました。

戦前には1500人近い住民がいた時代もあったそうですが、
過疎化が進んだうえ、1955年に佐久間ダムができたことで
村の中心が水没し、1983年には日本最小の村となりました。

富山地区の中心部には、村役場(今は豊根村富山支所)や
郵便局、警察や消防の駐在所、旅館などがあり、
村として独立していた時代を彷彿させます。

階段を上がり、集落の中に入ると、立派な建物がありました。
人の気配がしたので話を聞いたところ、この「清山荘」は、
旧富山村が地域活性化のため30年前から取り組んできた
長期山村留学の拠点でした。

留学生は親元を離れ、清山荘で寝起きをともにし、
平日は地元の富山小中学校に通います。
山村留学の体験者は100人を超えるとのこと。
地元の子どもたちの刺激にもなったことでしょう。

しかし、残念な話を聞きました。
今年度いっぱいで富山小中学校が閉校してしまうため、
山村留学も3月で休止となるのだそうです。

富山地区の人口は「日本一小さな村」と呼ばれた時代
(約200人)から一段と減ってしまい、今や100人強です。
小中学校の児童・生徒数は18人(児童13人、生徒5人)で、
このうち山村留学の児童・生徒が11人を占めています。

丘の上にある小中学校に行くと、屋根のある運動場で、
7、8人の子どもたちが体操の練習をしていました。
学年を超えた活動のようです。

ただ、校舎の老朽化が進み、耐震工事が必要とのこと。
豊根村にも余裕はなく、廃校という道を選んだのでしょう。

中心部に戻り、富山地区でただ一つの商店へ。
何か食べるものはないか尋ねたところ、
「うーん、お菓子しかないなあ。誰も買わないからねぇ」
という返事でした。

ローカル線の旅は、どこかほろ苦いですね。

 

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家族で台北へ

 

今年の夏休みは家族で台北に行きました。
家族旅行としては3年ぶりの台北です。

ところで、日本を訪れる外国人旅行者数が
昨年初めて年間1000万人を超えました。
職場が人気観光地「築地」にあり、確かに
海外からの旅行者が増えたと感じます。

それでは、どこから来た人が多いのでしょうか。
中国人が増えたなあと思っていたのですが、
統計を見ると、最近のトップは台湾でした。

この半年間のトップ3を見ると、台湾(139万人)、
韓国(127万人)、中国(100万人)となっています。
韓国が前年をやや割り込む一方、台湾をはじめ、
アジア各国からの訪日数が急激に伸びている
というのが最近の傾向です。

ですから、中国人観光客が増えたなあと思っても、
実は台湾人である可能性も結構高いのですね。

今回、台北で感じたのですが、中国人と台湾人
ばかりでなく、日本人との区別も難しくなっています。
特に若い女性は外見だけではわからないですね。

反対に、日本からどこに出かけているかというと、
米国(ハワイを含む)、中国、韓国がトップ3です。
ただし、2014年の傾向としては、中国と韓国が減り、
台湾が大きく伸びています。

我が家がまさにそうですが、韓流ブームのころ
ソウルを訪れた層が、台湾に向かっているとか。
最近の日韓関係が影響しているのでしょう。

いずれにせよ、日本と台湾はかつてないほどの
大交流時代を迎えているようです。

※台湾に行ったら、小籠包とマンゴー氷です!
 (食べ物だけではなく、今回は故宮にも行きました)

 

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