16. その他

大学生の生活変化

大学生協共済の知人から、全国大学生協連が行った緊急アンケート結果のご案内をいただき、興味深く拝見しました。
大学生協連のサイトへ

自由記入欄には経済的な不安や、リアルなつながりがないなかでの不安や不満、そして将来や進路に対する不安が増したという声が数多く寄せられています
(調査期間は4/20-30で、回答の半数弱が1年生)。

web授業

母集団に偏りがあるかもしれないので、あくまで参考として集計結果を見ると、まず、web授業で同時双方向型(学生と教員が顔を合わせるスタイル)が意外に支持されていないのが目につきました(項目26)。理由はわかりませんが、動画教材を活用したオンデマンド型のほうが「よりよく学べる」と回答した学生が多かったようです。
もっとも、「授業の特性によって異なるため1つには選べない」という回答が一番多く、これはそうだろうなあと思います。

web授業の通信状態は「ストレスなく受信できている」「時々途切れることがある」が4分の3を占める一方、通信環境以外で困っていることとしては、「目が疲れる」「集中力が続かない」が上位に挙がっていました(項目25、29)。確かに私も、時間が長くなると、対面よりも疲れる感じがします。

生活への影響

外出自粛は食生活にもに影響を及ぼしているようです。新型コロナで食事環境がどのように変わったのかという質問に対し、「自炊の機会が増えた」「外食の機会が減った」のほか、「間食が増えた」「食事をする時間帯が変わった(不規則になった)」という回答も多く挙がっています(項目41)。食生活での不安としては、「栄養バランスが悪いと感じる」「体重が増えた」が上位となりました(項目46)。
参考までに、回答者の半数弱が一人暮らしです。

そして、最近の体調について多かった回答が、「やる気が起きない」「ストレスを感じる」「目の疲れ」でした
(「特に問題なし」という回答も多いです)(項目47)。
調査期間にはまだ授業が始まっていなかった学生が半分弱いて、かつ、一日のうち「SNS」「テレビ・映画・Youtubeを見る」に多くの時間を使っている調査結果(項目20)を踏まえると、そのような回答が多いのも理解できます。
逆に言えば、授業を含めた生活のリズムをうまく作るのが大切だということなのでしょう。

 

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4月から大学教員となります

今回は個人的なお知らせです。
4月から福岡大学商学部の教員を務めることになりました。常勤なので、週の多くは福岡暮らしです。
マンションを借り、家具や家電などを準備して、ようやく4月から生活できる環境が整いました。

ただし、キャピタスにも非常勤として残り、月に数回は東京にも帰ってくる予定です。
ですから、ある程度はこれまでの業務に携わることになります(大学の兼業規定の範囲内で)。

大学では「保険論」「リスクマネジメント論」を担当します。福岡大学は福岡高等商業学校をルーツにもち、かつて石田重森先生が学長を務め(1995~99年)、日本保険学会の九州部会を主宰するなど、保険研究の盛んな大学と聞いています。
もっとも、新型コロナの影響で授業開始が2週間伸びてしまったので、残念ながら学生の皆さんにお目にかかれるのはしばらく先ですね。

ということで、本来は直接お伝えしたかったかたも大勢いらっしゃるのですが、新型コロナで多くの会合が中止となり、そうこうしているうちに、あと1週間で就任となってしまいましたので、ブログでお伝えすることにしました。
皆さま、引き続きよろしくお願いいたします。

 

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新型コロナの国別感染状況

欧州各国で新型コロナウイルスの感染者数が急速に増えています。
日本の感覚からすると、そもそもどうしてそんなに検査ができるのだろうかと思ってしまいます。ドライブスルー方式など、検査の手法がかなり異なるのでしょうね。

人口100万人当たりの感染者数が100人を超えているのは中国湖北省(1146人)のほか、

 韓国:160人
 イラン:156人
 イタリア:349人
 スペイン:123人
 スイス:159人
 ノルウェー:141人
 デンマーク:139人
 バーレーン:134人

となっています。あくまで3月15日時点のもので、欧州を中心に日に日に数字が大きくなっている状況です
(元データは日経「新型コロナウイルス感染世界マップ(3月15日)」、人口は容易に入手できた2018年のもの)。

次に、感染者数の多い国を中心に、人口100万人当たりの死者数を確認してみました
(元データは同じ)。

日本:0.2人
中国:2.2人
 湖北省:52.1人
 それ以外:0.1人
韓国:1.5人
イラン:7.5人

イタリア:23.8人
スペイン:2.9人
フランス:1.4人
スイス:1.3人

ドイツ:0.1人
イギリス:0.3人
ノルウェー:0.2人
デンマーク:0人
スウェーデン:0人

カタール:0人
バーレーン:0人

米国:0.1人

人口に占める感染者の割合が高くても、死亡者の多い国と少ない国があるのがわかります。もちろん、他の死因と比べて52人や23人が高いのかどうかという議論もあると思いますが、少なくとも人口対比で比べたほうがよさそうです。

日本の死亡者数は足元でやや増えてきましたが、何とか踏みとどまってほしいです。

※写真は武蔵小杉の遠景です。元住吉駅から。

 

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アルコール離れ

ニッセイ基礎研究所の久我尚子さんによるレポート「さらに進んだ若者のアルコール離れ」をきっかけに、若者および中高年のアルコール離れが話題になっています。
若者のほうは、飲酒習慣率が下がったということだけでなく、飲めるけど、あえて飲まない「ソーバーキュリアス」が20代の約4分の1を占めているとのこと。ソーバーキュリアス(Sober Curious)とは初めて耳にしましたが、飲まないのがクールという風潮なのでしょう。

せっかくなので、飲酒習慣率(飲酒習慣者の割合)のデータを厚生労働省「国民健康・栄養調査」で確認してみました。
この調査では、週に3回以上飲酒し、飲酒日1日あたり1合以上を飲酒するという回答を飲酒習慣者としています(日本酒1合はビール500ml、ワイン1/4本)。私は毎日は飲みませんが、この定義だと飲酒習慣者です。

まず、飲酒習慣者の割合は男女で大きな差があります。2017年の結果では、男性33.1%に対し、女性8.3%でした。
ただし、かつてに比べ、その差はかなり縮まってきました。男性の飲酒習慣率が下がる一方、女性はどちらかといえば上昇傾向にあるためです。

久我さんは1997年と2017年のデータを比べていて、確かに男性はどの年代でも飲酒習慣者の割合が減っています。
私の世代(50代男性)の2017年の飲酒習慣率は43.8%ですが、20年前の50代男性は61.2%も飲酒習慣者がいたのですね。ついでに言えば、喫煙習慣のある人も6割近かったようで、確かに当時の飲み会はたいてい煙くて嫌でした。

さらに、この20年間を前半の10年間(1997年から2007年)と後半の10年間(2007年から2017年)に分けて比べてみました。すると、30代と40代は継続的に比率が低下しているのに対し、20代および50代以上は前半の10年間のみ下がっています。
飲酒習慣率は30代あたりで高まります。2017年の40代は2007年の30代、1997年の20代に相当するので、それまでの世代とちがい、1997年の20代からは年齢を重ねても飲酒習慣がつきにくくなったと言えそうです。健康志向や職場の飲み会の減少といった世代に共通した理由のほか、雇用環境などこの世代以降に特有の理由があるのかもしれません。

※地元・大倉山の梅祭りです。

 

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日本の新幹線

あけましておめでとうございます。
今年もマイペースで書いていきますので、引き続きよろしくお願いいたします。

写真は年末の新横浜駅で見かけたものです。新幹線は約3分おきに出発していて、まるで朝の通勤電車のようです。
高速鉄道はいまや世界中で活躍するようになりましたが、これほどの頻度で走るのは、さすがに日本の新幹線だけではないでしょうか。

新幹線は高速鉄道のパイオニアであり、世界トップ水準のクオリティを維持していると思います。ただ、海外に目を向けると、日本の新幹線の弱点や課題も見えてきます。

写真の白い列車はドイツの高速鉄道ICEで、場所はスイスのチューリヒ中央駅です。
ヨーロッパや中国、韓国では高速鉄道も在来線も同じゲージ(1435ミリメートル)のことが多いので、高速鉄道が在来線に乗り入れたり、高速鉄道のない他国に足を伸ばしたりするのが容易です。
そもそも在来線を部分的に改良すれば高速鉄道を走らせることができてしまいます(後から必要に応じて高速鉄道用の設備を作っているようです)。

日本ではこうはいきません。新幹線専用の設備を一から作らなければならないので、時間もお金もかかります。並行して走る在来線は新幹線が開業すると、一転して長距離列車が走らないローカル線となってしまいます。
逆にいえば、日本の新幹線は専用の設備だけを走るので、時速300キロ近い列車を約3分間隔で走らせることができるのでしょう。

韓国の高速鉄道KTX(写真)では、かなり前からチケットレス化が進んでいます。確か改札も車内検察もなかったように思います。
チケットレス化という点では、日本の新幹線でもネットでチケットを予約し、紙の切符を使わないサービス(JR東海のスマートEX)が普及しつつあるようですが、まだまだ多くの人は紙の切符で改札を通過していますね。

ヨーロッパの高速鉄道は食事のサービスが充実しています。
ドイツのICEやフランスのTGVには食堂車やビュッフェが健在ですし、国際列車であるタリスやユーロスターの1等では食事のサービスがあります。写真の軽食はポーランドの高速鉄道で提供されたものです。
日本の新幹線にもかつては食堂車やビュッフェがあったんですけどね。車内販売もなくなりそうですし、乗る前に駅弁などを用意しなければ、あとは我慢するしかありません。

他方で、海外の高速鉄道に乗ると、座席が後ろ向きや向かい合わせで固定されていて、くつろげないことがしばしばあります。
景色を眺めるのが好きな私にとって、窓も問題です。写真のような大きな窓だと、いきなり前の座席の人にブラインドを下ろされてしまうこともあり、ストレスがたまります。
この点、日本の新幹線は1つの座席に1つの窓となっているので、安心して景色を眺めることができるのですね。

 

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ワルシャワ蜂起

今年は日本とポーランドが国交を樹立してからちょうど100年ということで(?)、首都ワルシャワや古都クラクフなどを訪れました。

ポーランドの歴史

ポーランドはあまりなじみがない国かもしれませんが、壮絶な歴史を持っています。
15~17世紀は東欧の大国でした。しかし、国力が弱まった18世紀には領地拡大を目指すロシア、オーストリア、プロイセンの3国により分割されてしまい(いわゆる「ポーランド分割」です)、1795年から第一次世界大戦が終わるまでポーランドという国はありませんでした。

その後、独立を果たしてからわずか20年ほどで、1939年にドイツによるポーランド侵攻で第二次世界大戦がはじまり、ポーランドはドイツとソ連に分割・占領されてしまいます。
終戦後、ポーランドという国は復活しますが、スターリンが率いるソ連の衛星国家としてであって、民主化の達成は1989年になってからです
(ちょうど30年前ですね)。

ワルシャワ蜂起

首都ワルシャワの旧市街は世界遺産として登録され、大勢の観光客でにぎわっています。ここは、第二次世界大戦でナチスドイツにより徹底的に破壊された町並みを、戦後ポーランド人が以前の姿を忠実に復元したものです。
町が徹底的に破壊されたのは、1944年のワルシャワ蜂起の失敗によります。ドイツの敗色が強まったとみたポーランドの抵抗勢力が1944年8月に蜂起したものの、ワルシャワの対岸まで来ていたソ連軍は動かず、西側勢力による支援も得られませんでした。蜂起勢力は2か月後にドイツ軍に鎮圧され、ワルシャワの町は報復として徹底的に破壊されてしまったのです。

このワルシャワ蜂起をテーマにした博物館に行ったのですが、現実の厳しさ、冷酷さに圧倒されました。
ワルシャワ蜂起を「無謀な試み」「指導者による情勢の読み間違い」と言うのは簡単です。ただ、独裁者スターリンの率いるソ連はナチスドイツから単にポーランドを解放するのではなく、支配下に置くことを念頭においていたので、ポーランドの独立勢力が、このままでは支配者がナチスドイツからスターリンに変わるだけだと考えて蜂起に動いたのも理解できます。
その後、廃墟となったワルシャワに進軍したソ連は、ワルシャワ蜂起で活躍したポーランド人を逮捕し、処分しています。

博物館には若いポーランド人がたくさん訪れていました。

 

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西村先生の訃報に接して

元大蔵省の銀行局長で早稲田大学名誉教授の西村吉正先生が亡くなりました(8日)。
西村さんといえば、住専問題の国会答弁という印象が強いかもしれませんが、私にとっては大学院時代の恩師として、大変お世話になったかたです。

私は2005年から2008年にかけて西村ゼミに所属し、先生に保険会社の破綻研究の指導をしていただきました。
ゼミでは毎回持ち回りで発表者を務めることになっていて、なんと先生もそのローテーションに入るという貴重なゼミでした。
そういえば2007年の春だったと思いますが、麻疹(はしか)が大流行して大学閉鎖となり、先生の自宅でゼミを行ったこともありました。

他にもいろいろと思い出がありますが、まずは先生のご冥福を心からお祈りします。

金融行政の敗因

西村先生の著作といえば、やはり1999年に出た「金融行政の敗因」を挙げたいと思います。
不良債権問題と対峙した金融行政の当事者が、退職のすぐあとに自らの体験を振り返るというのは、そう簡単ではなかったはずです
(成功体験なら別でしょうけど)。
しかし本書では、自らが関わった大和銀行事件についても、住専処理についても、きちんと振り返り、かつ、反省すべき点を整理しているところがすごいです。

久しぶりに読み返してみると、生保に関連して次のような記述がありました。

「あまり気づかれないが、このこと(=低金利政策)によって生命保険の仕組みに無理が生じていることは非常に重要な問題である。(中略)短期間ならともかく、こんなに長期にわたって異常な金利水準が続くと運営に支障を生じるのは当然である。」

「逆ざやによって生命保険会社の経営は危機に瀕しているが、これも低金利政策の副作用である。それによって経営が破綻し、保険加入者が損害を受けるならば、金融システム維持という根拠とは別の理由で、政策責任者たる国家が何らかの対応を迫られる問題である。」

当時の保険行政は大蔵省銀行局のなかにある保険部が担っていました。
生保の連鎖的な経営破綻は本書が出た後の2000年前後に起きるのですが、1994年7月から2年間銀行局長を務めたかたが「低金利政策の副作用」という言葉を使い、「国家が何らかの対応を迫られる問題」とまで語っているのは、考えてみれば相当踏み込んだ記述だと思います。

もっとも、当時の保険部は銀行局のなかにあったとはいえ、「関東軍」などと揶揄されていたことを踏まえると、別の見方もできるのかもしれません。
結果としては、銀行とはちがい生損保の破綻に公的資金が使われることはなく、しかも「異常」という認識だった低金利はより低い水準で常態化してしまいました。

※写真は2011年3月の最終講義です。
 「なまはげ」はゼミ仲間の懇親会だったかな…

 

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バンコク視察旅行

保険代理店の皆さんとバンコクに行ってきました。
RINGの会の行事ということで、プログラムの詳細をご紹介することはできませんが、現地の日本人経営者の苦労話や大手保険会社のマーケティング戦略など、まさに百聞は一見に如かずという感じでした。

富裕層と低所得層の格差

バンコクには巨大なショッピングモールがいくつもあり、どこも大勢の人でにぎわっていました。
バンコクを代表する巨大商業施設である「サイアムパラゴン」、中核テナントとして伊勢丹が入る「セントラルワールド」、日本人が多く住む地区に近い「エンポリアム」「エムクォーティエ」は、いずれも日本の一般的なショッピングモールよりも高級路線で、国際的なファッションブランドが揃い、銀行のプライベートバンキング専門店や高級外車の売り場もありました。食料品売り場も充実していて、成城石井のような雰囲気でした。

その一方で、バンコクには庶民的な町並みもいたるところにあり、路上には昔ながらの屋台が並び、10バーツ(約35円)で乗れるエアコンなしの古いバスが走ります(ドアを開けたまま走っていました)。日本人街からそう遠くない(南に3kmほど)ところにはバンコク最大のスラム街もあるそうです。

タイは王室を頂点とした階級社会、経済格差の大きい社会で、相続税などによる所得の再配分機能が弱く、格差が固定される傾向が強いようです。

バンコクの日本人街

タイに住む日本人は少なくとも7万人を超えていて、このうちバンコクの日本人学校に近いエリアに多くの人が集まって暮らしています。
このエリアは日本語の看板があふれていて、タイ語も英語も使わず、日本語だけで生活できてしまうところです。日本人向けのスーパー(UFMフジスーパーなど)があり、日本の食材は何でも手に入りますし、日本人向けの飲食店も数多くあります。医療サービスも充実しているそうです。
今回私たちがお世話になったグローバルサポート社(タイランド)の本業は、日本人駐在員向けの資産形成コンサルティングとのこと。確かにニーズはあるでしょうね。

タイ政府はロングステイも奨励しているようです。50歳以上の人は、銀行口座に80万バーツ(約280万円)以上の預金があれば1年更新のロングステイビザを取得できるので、移住するシニアの日本人が徐々に増えているとか。

デジタル化の進展

デジタル化の進展は日本以上かもしれません。
タイ政府が「タイランド4.0」というデジタル化戦略を進めていることに加え、今やバンコクであればスマホを持っていない人がほとんどいないほど急激に普及しました
(スマホを持っているのは富裕層だけではないということです)。

ある調査によると、タイ人の平均的なネット利用時間は日本の平均値よりもはるかに多く、FacebookやYoutube、LINEなどが好んで使われているようです。
キャッシュレス決済も急速に普及しつつあります。写真のナイトマーケットでもQRコードを見かけました。もともとのインフラが日本よりも脆弱なので、デジタル化で便利かつ安心できるサービスが登場すると、そちらにシフトしやすいのかもしれません。

 

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右足を痛めて感じたこと

右足を痛め、歩くのが不自由になって10日ほどたちました。
せっかくなので、東京近郊に住む私が、通勤・外出時に感じたこと、気が付いたことを残しておこうと思います。

優先席の世界

優先席に限らず、大変そうな人には席を譲るのが当然なのかもしれません。そうは言っても一般席はこわいので、努めて優先席に向かっています。
ただ、朝の電車はピークをずらしても混んでいるので、電車を選ばないとそもそも優先席に近づけないのですね(東急東横線の場合)。

それでは優先席にたどりつけば座れるかといえば、「座れることのほうが多い」といったところでしょうか。途中駅なので空席はなく、杖を持って乗ってきた私に気が付いてくれたかたは、ほぼ席を譲ってくれますが、全く気が付かない(少なくともそう見える)かたもいます。
なかには後ろからトントンとタッチして、「こちらへどうぞ」なんて言ってくれるかたもいて、先週はかなり辛かったので、これは涙が出るくらいうれしかったですね。
この気持ちを忘れないようにしたいです。

もっとも、一見すると大変そうに見えなくても、実は大変なかたもいるのでしょう。私だって、もし杖を持っていなければ、「なんでコイツは優先席に座っているんだ」と思われるだろうなあと、ついつい考えてしまうので、見るからに大変そうではない人があの席に座るのは相当なプレッシャーかもしれません。

優先席から見た朝の東横線は、高齢者が意外に少ない一方で、妊婦さんが目立ちます。
ところが新橋駅からの都営バスはシニアが多くて、むしろ席を譲ったりすることもありました(1回だけですが)。

地下鉄のバリアフリー状況

行動範囲が限られているので、あくまで私が体験した事例としてお読みください。

先週は100メートル進むのにものすごく時間がかかったうえ、階段なんかとんでもない(特に下り)という状態だったのですが、地下鉄やJRには苦しめられました。
まず、会社の最寄り駅(築地市場駅)に泣かされました。地上からの出入口が3か所あって、そのうち1か所にエレベーターがあります。たまたま会社から最も遠い出入口で、何とかたどり着いてエレベーターに乗ると、そこから改札口まで100メートル歩かなければなりません。古い駅ではないのに、なぜこんな構造なのでしょうか。

それから同じく都営の大門・浜松町駅では、JRに乗り換えようと地上に向かうエレベーターに乗ったら、途中から階段になっていて、あとは上がるのも下がるのも階段を使うしかありません。
こうした出入口は他にもいくつもあるようで、おそらくどこかにバリアフリールートがあるのだと思いますが、事前に調べておかないと大変なことになります。

都営ばかりで恐縮ですが、神保町駅では改札を入ろうとしたら、親切な駅員さんに、「ここは階段だけですが、もう一つの改札ならエレベーターがありますよ」と教えてもらったのはよかったのですが、その「もう一つの改札」が遠くて涙が出ました。
まあ、これは仕方がないのかもしれませんが、そもそも駅には下りのエスカレーターがあまりに少ないですね。東京メトロの大手町駅でしたか、せっかくエスカレーターが2つあるのに、どちらも上りでガッカリしたこともありました。

横断歩道を渡り切れるか

地上にも難所がいくつもありました。都心部の歩道は広いので、あまり困るようなことはなかったのですが、地元では歩道が狭いうえに起伏が激しく、段差も多いので、体力を消耗してしまいます。歩道って、どうして車道よりも高くなっているのでしょうか。

都心部は歩道が広いだけでなく、車道も広いので、信号が青のうちに横断歩道を渡り切れるかというプレッシャーを何度も感じました。
バリアフリー状況もそうですが、恒常的に歩くのが不自由なかたは、いつもこのような思いをしているのでしょう。横断歩道を渡り切れないなんて、考えたこともありませんでした。

そうそう、何をするにも時間がかかってしまうのには閉口しました。
特に雨の日は、杖と傘で両手がふさがってしまい、ただでさえ動作が遅いのに、電車やバスに乗るにしても、コンビニで買い物をするにしても、やたらと時間がかかってしまいます。当初はどうしても自分にイライラしてしまいましたが、これにはすぐに慣れました(周りには迷惑をかけているのでしょうけどね)。

 

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韓国に残る日本の建物(後編)

前編に続き、釜山と鎮海で見つけた日本統治時代の建物をご紹介します。

<鎮海の町並み>

鎮海(チネ)は釜山からバスで1時間のところにある港町で、桜の名所として韓国では有名です。
1910年代に日本海軍が建設した都市で、ロータリーから放射状に道が広がり、かつての郵便局(下の写真)や駅、楼閣のある料理店などのほか、古い日本家屋も結構残っていました。

「長屋通り」の日本家屋(下の写真)で印刷業を営む鄭基源さんと話をすることができました。
鄭さんによると、最初の持ち主は三島アイという日本人で、1階は文房具やタバコを扱い、2階は旅館として営業していたそうです。
鄭さんは60年前からこの家で印刷業やメダル製造などを行っていて、日本統治時代の鎮海の写真や、かつて鄭さんが使っていた活版印刷の活字などを見せてもらいました。

<釜山の乾魚物市場>

釜山の観光地として有名なチャガルチ市場(魚市場)の近くにある乾魚物市場の商店は、古い日本家屋をそのまま使っています。繁華街のなかで、この一角だけ時計の針が止まっているかのような景色です。
ただ、写真のとおり、かなり老朽化が進んでいますし、保存しようという動きもなさそうなので、再開発は時間の問題かもしれません。

<釜山駅近くの日本家屋>

釜山駅や日本領事館の近所でも古い日本家屋をいくつも見かけました。屋根を青く塗り固めたり、シートで覆ったりしていることが多いようです。古くなって瓦が落ちてしまうためでしょうか。
内部はおそらく畳ではなく、オンドル部屋(=床暖房)に変えていることが多いと思われます。
前編で紹介した「文化共感 水晶」のように保存状態のいい日本家屋は例外で、老朽化が進んでいる建物が大半でした。

いかがでしたでしょうか。
基本的にこれらは植民地時代に日本人のためにつくられた建物ですが、案内してくれた方々はどこか嬉しそうだったのと、再生した建物が若い韓国人に人気のスポットになっているのをみて、こちらもうれしくなりました。

 

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