杵築(大分県)、秋月(福岡県)に続き、年末に古い町並みが残る飫肥(おび。宮崎県)を訪ねました。
同じ九州でも福岡から宮崎は意外に遠くて、陸路では最短でも3時間強かかります。飫肥は宮崎からさらにローカル線に揺られること1時間余りのところにあります。
飫肥は伊東氏が代々治めた城下町です。伊東氏のルーツは曽我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経(すけつね)で、祐経の子が工藤を伊東に改めたそうです。戦国時代には島津氏と争って敗れたものの、豊臣秀吉に仕えて軍功を挙げ、飫肥にカムバック。関ヶ原の戦いでは徳川方につき、小藩ながら伊東氏の統治は幕末まで続きました。伊東氏が江戸時代を生き延びたのは、島津氏を監視する役割を担っていたのかもしれません。
なお、天正遣欧少年使節の伊東マンショも伊東氏の一族で、島津に敗れて豊後に逃れた際、キリスト教に出会ったそうです。歴史は面白いものですね。
城下町というと城跡や武家屋敷を見学するのが定石ですが、たまたま建物が気になって立ち寄ったところが「服部植物研究所」という、世界で唯一のコケ専門研究所でした(上と下の写真)。飫肥出身の植物学者である服部新佐(しんすけ)博士が終戦直後の1946年に研究所を設立し、ここを拠点にコケの研究を行っていたそうです。スタッフのかたに内部を案内していただき、顕微鏡をのぞいたり、標本や資料を拝見したりと、思いがけず楽しい時間となりました。
博士は家業の林業で稼いだお金をコケの研究につぎ込んでいたとか。今も十数名の研究員が所属し、研究活動を行っているそうですが、こうした研究所が大都市ではなく、小さな城下町で存続していることに感銘を受けました。