16. その他

韓国に残る日本の建物(後編)

前編に続き、釜山と鎮海で見つけた日本統治時代の建物をご紹介します。

<鎮海の町並み>

鎮海(チネ)は釜山からバスで1時間のところにある港町で、桜の名所として韓国では有名です。
1910年代に日本海軍が建設した都市で、ロータリーから放射状に道が広がり、かつての郵便局(下の写真)や駅、楼閣のある料理店などのほか、古い日本家屋も結構残っていました。

「長屋通り」の日本家屋(下の写真)で印刷業を営む鄭基源さんと話をすることができました。
鄭さんによると、最初の持ち主は三島アイという日本人で、1階は文房具やタバコを扱い、2階は旅館として営業していたそうです。
鄭さんは60年前からこの家で印刷業やメダル製造などを行っていて、日本統治時代の鎮海の写真や、かつて鄭さんが使っていた活版印刷の活字などを見せてもらいました。

<釜山の乾魚物市場>

釜山の観光地として有名なチャガルチ市場(魚市場)の近くにある乾魚物市場の商店は、古い日本家屋をそのまま使っています。繁華街のなかで、この一角だけ時計の針が止まっているかのような景色です。
ただ、写真のとおり、かなり老朽化が進んでいますし、保存しようという動きもなさそうなので、再開発は時間の問題かもしれません。

<釜山駅近くの日本家屋>

釜山駅や日本領事館の近所でも古い日本家屋をいくつも見かけました。屋根を青く塗り固めたり、シートで覆ったりしていることが多いようです。古くなって瓦が落ちてしまうためでしょうか。
内部はおそらく畳ではなく、オンドル部屋(=床暖房)に変えていることが多いと思われます。
前編で紹介した「文化共感 水晶」のように保存状態のいい日本家屋は例外で、老朽化が進んでいる建物が大半でした。

いかがでしたでしょうか。
基本的にこれらは植民地時代に日本人のためにつくられた建物ですが、案内してくれた方々はどこか嬉しそうだったのと、再生した建物が若い韓国人に人気のスポットになっているのをみて、こちらもうれしくなりました。

 

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韓国に残る日本の建物(前編)

韓国に残る日本統治時代の建物を訪ねる旅をしてきました。
場所は日本に近い釜山と、日本海軍の拠点だった鎮海です。

当時の建物をめぐってみると、「歴史的な観点から保存しているもの」「文化的な価値を踏まえて活用しているもの」と、「単に建物としての機能を果たしていて、結果的に残っているもの」がありました。
論より証拠。写真をご覧ください。

<釜山近代歴史館>

植民地政策を担った東洋拓殖株式会社の釜山支店として1929年に建てられたもので、戦後はアメリカ文化院として使われていましたが、返還後の2003年に歴史館としてオープンし、近現代史の教育の場として活用されています。
訪れたときも校外学習の生徒たちが大勢いて、課題に取り組んでいました。

<臨時首都記念館>

1926年に慶尚南道の知事官邸として建てられたもので、その後、朝鮮戦争で釜山が臨時首都になった際、大統領官邸として使われました。
現在は朝鮮戦争当時の政治や人々の暮らしを紹介する展示館となっています。

<文化共感 水晶>

釜山にある1943年に建てられた日本家屋です。日本人観光客向けの料亭を経て、2016年に文化施設としてオープンしました。他の木造家屋と比べると、保存状態は非常に良好でした。
ロケ地としても有名なためか、若い韓国人に人気のスポットとなっているようで、皆さん思い思いのポーズで写真を撮りまくっていました^^

<旧百済病院>

1922年に病院として建てられたもので、釜山駅の近くにあります。もっとも、病院だったのは最初の10年だけで、その後は中華料理店や結婚式場などとして使われていたようです。
現在は内装をリノベーションしたうえで、1階がカフェ、2階がアートギャラリーとなっていて、カフェは若い人たちでにぎわっていました。

<ムルコンシクタン>

釜山にあるこのアンコウ料理専門店は、80年前に建てられた日本家屋で営業しています(韓国風に改装してあります)。
店主らしき女性に片言のハングルで「こちらは日本家屋ですよね」と聞いたところ、「いいものを見せてあげる(=私の意訳)」と2階の座敷を案内してくれました(下の写真)。

後編に続きます。

 

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東京医大の第三者報告書

年末に公表された東京医科大学の第三者委員会「第二次調査報告書」「第三次調査報告書(最終報告書)」を読んでみました
(ちなみに、年明けに文部科学省が再調査を指導したとのことで、これが「最終」ではなくなりました)。
東京医科大学のサイトへ

これまでに判明していた「属性調整(=女子および多浪生に不利な扱い)」「個別調整(=特定者に対して加点)」に加え、第三次調査報告書には、「医学科入試において問題漏洩が行われた疑いがある」「個別調整と東京医大への寄付金との間には、何らかの関連性があった可能性がある」「入試に関する依頼(仲介の依頼を含む)と、依頼を受けた者に対する謝礼との間には、何らかの関連性があった可能性がある」と、さらなる疑惑を提示しています。
さらに、看護学科の入試では、国会議員の依頼を受け、試験結果の上位29人を飛び越えて補欠者となり、最終的に合格となった事例を明らかにしました。

医学部人気のなかで、今回の件が東京医科大学および附属病院の事業運営にどの程度のダメージとなるのかはわかりません。
しかし、世の中の人々が何となく存在するのではないかと思っていた「裏口入学」が本当に行われていたということで、社会に対する悪影響はかなり大きいのではないかと考えています。

※富士山が雲に隠れてしまいました。

 

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2018年末のミャンマー

前回に続いてミャンマーの話です。

保険市場は黎明期

新聞報道によると、年明け早々にミャンマー政府が保険分野への外資企業の参入を認めると発表したそうです。
ミャンマーでは2012年まで国営の保険事業が市場を独占し、その後民間にも開放されたものの、外資の参入は例外(日系3社がティラワ経済特区限定の免許を取得)を除き、認められてきませんでした。
しかし、ミャンマーの人口(5000万人超)に比して保険市場の規模は非常に小さく、1人あたりGDPが同じような水準にあるカンボジアやラオスよりも普及率が低いようなので、外資導入によりテコ入れを図ろうとしているのだと考えられます。

ちなみに、スイス再保険の統計でミャンマーは調査対象外となっていますが、2017年から2018年にかけてミャンマー政府の保険アドバイザーを務めていたJICA齊藤氏(金融庁から派遣)のレポート(PDF)を読むと、これは規模の問題というよりは、統計が整備されていないためだと思いました。
レポートによると、保険監督に従事する職員は少なく、生保の責任準備金は直近年度の純保険料収入の10%といったもので、ソルベンシー規制は存在せず、保険会社には保険数理人が存在しないといった状況のようです。


※中央郵便局で見かけました

慢性的な交通渋滞

自動車保険もまだまだ普及していない状況ではありますが、ヤンゴンの市内はすでに自動車であふれていました。渋滞は東南アジアでも有数とのことで、ガイドブックにも「日中~夜は渋滞がひどい」なんて書いてあります(渋滞しないのは早朝と深夜だけという意味なのでしょう)。
人口が700万人を超える都市で、東京や大阪のような鉄道網がほとんど整備されておらず、南北を結ぶ幹線道路も見たところ2つしかないのですから、モータリゼーションが進めば慢性的な渋滞となるのは必然かもしれません。

町で見かける車の大半は日本車でした。
ミャンマーは右側通行の国なのに、走っているのは右ハンドルの日本の中古車ばかり。日本の中古車といえばロシアのウラジオストクを思い浮かべますが、2012年ころからミャンマーに向かったのですね。結果として、日本の中古車が渋滞を引き起こしているということになります。
ただし、昨年から右ハンドル輸入規制が入り、数年後には左ハンドルの車が優勢になっているかもしれません。バスについては、日本の中古バスが活躍していたのは昔の話で、ヤンゴンではすでに左ハンドルのバスに切り替わっていました。

なお、東南アジアの他の都市と違い、ヤンゴンではバイクが走っていません。バイクの走行が禁止されているとのことで、地方に行けばバイク天国なのかもしれません(未確認です)。


※環状線はリニューアル工事中でした

中国とインド

ミャンマーを地図で見ると、北東は中国と接し、北西はインドと接していることがわかります。これが端的に現れているのが食文化です。

ミャンマーの典型的な料理といえば、いわゆる「カレー」なのですね。私も滞在中、何回かカレー料理を食べました。
同時に麺料理も豊富です。朝食の定番はモヒンガーというスープ麺ですし、シャン族の料理店で食べた麺はあっさりしていて、日本にもありそうな味わいでした。

この地理的条件は、おそらく今後の経済発展にも影響してくるのでしょう。


※ホテルで食べたモヒンガーです

 

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ヤンゴンの近代遺産

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

ミャンマーの中心都市ヤンゴンへ

年末に休暇を取って、ミャンマーの中心都市ヤンゴンに行ってきました(ちなみにミャンマーの首都はネーピードーです)。
2011年の民政移管以降、経済発展著しいミャンマーを実際に見たかったことのほか、ヤンゴン(旧ラングーン)にはかつて英国の植民地だった時代の建物がたくさん残っているというのが魅力でした。

例えば上の写真に見えるコロニアル建築は、1900年に建てられたヤンゴン地域裁判所です(現役の裁判所には見えませんでしたが…)。
港に近いこの場所は第二次世界大戦で日本軍の爆撃を受けていて、この建物も裏側の一部が壊れたままとなっています。

こちらは同じパンソダン通りにある、1906年にユダヤ商人が立てた商業ビルです。
ミャンマーというと仏教国のイメージですが、当時のヤンゴンにはイギリス人が政策的に連れてきたインド人のほか、様々な国・地域から人々がやってくる国際都市だったことがうかがえます。

ただし、どちらのビルも、あまりメンテナンスをしないまま使い続けてきたため、かなり老朽化が進んでいました。
外見もそうですが、建物の中に入ると、当時のエレベーターが朽ち果てていたり、なんというか非常に悲しい状態でした。

近代遺産を後世に残す

ヤンゴンに植民地時代の建物が多く残っているのは、これらを積極的に保存しようとしてきたためではなく、ミャンマーの経済発展が遅れたため、過去のストックをそのまま活用してきたためです。でも、このままではこうした近代遺産は老朽化で壊れてしまうか、あるいは、経済発展に伴う再開発で消えてしまうかでしょう。

このような状況に危機感を持ち、保存活動をしているグループを見つけました。Yangon Heritage Trust(YHT)という団体です。私は今回、YHTが主催する近代遺産をめぐるウォーキングツアーに参加しました(ツアー費用の一部がYHTの活動資金となります)。
ガイド氏は、こうした活動を通じてミャンマーの人々に近代遺産の価値を理解してもらい、経済発展と歴史的建物の保存を両立させたいと語っていました。


※こちらは現役の中央郵便局

他方で、比較的規模の小さい歴史的建造物についても、単にそのまま使い続けるというのではなく、その建物の価値を生かして使おうという取り組みが徐々に始まっているようです。
例えば、昨年オープンした「Burma Bistro」というレストランは、植民地時代に建てられたビルの2階にあり、外見からは想像できないような、おしゃれで居心地のいい空間でした。


※入り口はこんな感じですが…


※食事もサービスもよかったです

 

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気仙沼を訪問

仙台で開かれた保険代理店の勉強会の翌日、三陸の気仙沼まで足をのばしました。

気仙沼は震災前の2007年に息子と2人で旅行をした思い出の地です。もちろん、津波で大きな被害を受けたことは知っていましたが、実際に行ってみて、港町の景色があまりに異なっていて、言葉を失いました。


※上が2018年、下が2007年です

震災から7年半がたちましたが、かつて宿泊した魚町地区の建物はまだ少なく、あちこちで工事が行われていました。
それでも、国の文化財となっていた米店の建物が復元されていたり、あさひ鮨(当時こちらで息子が漫画をもらいました)が仮店舗から抜け出し、新装オープンしていたりと、うれしい話もありました。


※あさひ鮨考案のフカヒレ寿司

5年に1度の国勢調査によると、気仙沼市の人口は2010年時点の73,489人から2015年には64,988人(▲11.5%)となり、その後も減少が続いています。
震災の影響で減っただけではなく、そもそも毎年800~900人ペースで減少が続いているのです。

しかも内訳をみると、65歳以上の人口は横ばいでして、高齢化が急速に進んでいます。市長の施政方針のなかにも、「とりわけ子どもの減少が数値だけでなく、日々の生活の中でも感じられます」とあるほどです。

そこには、震災からの復興とともに地方創生にも取り組まなければならないという厳しい現実がありました。

 

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スイス鉄道の旅

遅めの夏休みをとり、スイスに行ってきました。
このブログの読者の皆さんからは、スイスと言うと「バーゼル」「チューリヒ」という声が出そうですね。今回は仕事ではなく、結婚25周年の記念旅行ということで、ユングフラウヨッホなどアルプス観光を楽しんできました。

鉄道王国スイス

人よりやや鉄分の多い私には、スイスはとっても楽しいところでした。
九州と同じくらいの面積しかないのに、国鉄・私鉄合わせて約5300kmと九州の2倍もの鉄道網があり、どこに行くのも鉄道が便利です。スイス国鉄のサイトを使えば予定が簡単に立てられますし、駅の表示もわかりやすく、何より列車が時間通りに走っています。さすが時計産業の国です。


※車両に3か国語の表示があります

路線が密なだけでなく、運行密度もそこそこ高く、地方の路線でも1時間に1本は走っているようでした。
地方では「リクエスト・ストップ」という仕組みになっているところもあり、小さい駅はボタンを押さないと通過してしまいます。とはいえ、小さい駅でもそこそこ乗り降りがあって、私が乗った列車で本当に通過したのは1、2回だけでした。


※左に見えるのが「リクエスト・ストップ」のボタン


※ボタンを押して停まってもらいました(グアルダ駅)

氷河急行に乗車

スイスを代表する観光列車といえば氷河急行(Glacier Express)です。
スイス南西部のツェルマット(マッターホルンがあるところ)から南東部のリゾート地サンモリッツまで8時間かけてのんびり走ります。
どこかの国の何十万円もする豪華列車とは違い、料金はランチ込みで1万円弱でした(別途に乗車券が必要)。


※坂道をどんどん登っているところ

8時間というと長そうですが、大きな窓から見える景色は素晴らしく、変化があって飽きません。予約しておいたスイス料理のランチを食べ、乗り合わせたオーストラリア人の夫婦と話をしながら景色を眺めていると、あっという間に時間がたってしまいました。


※車内で暖かいランチを食べられるのはうれしいですね

登山電車

登山電車にも触れないわけにはいきません。
スイスでは、よくこんなところに鉄道を敷いたなあと感心するくらい、高いところにも鉄道があります。その代表選手がユングフラウ鉄道です。
世界中の観光客でにぎわうユングフラウヨッホに向かう鉄道ができたのは、なんと1912年。途中からはひたすらトンネルを通るのですが、当時の技術で硬い岩盤をくり抜くのは相当大変だったと思います。


※ここから標高3454mまで登ります

ユングフラウ鉄道をはじめ、登山電車では急勾配を登るため、しばしばラックレールを使っていました。
車両に歯車が付いていて、ギザギザのラックレールにかみ合わせて登っていく仕組みで、本物は初めて見ました。

都市ではトラムが活躍

チューリヒ、ベルンといった大きな町ではトラム(路面電車)が活躍していました。低床車がかなり普及しているようです。
乗車してあれ?と思うのは、チケットを見せたり料金を支払ったりする機会がないことです。信用乗車という仕組みで、いちいちチケットを確認しません。でも、ごくたまに検札があって、そこで無賃乗車だとわかると高いペナルティをとられます。


※チューリヒのトラムです

いかがでしたでしょうか。他にもルツェルンには欧州最大級と言われる交通博物館もありますし、鉄分の濃いかたは、ぜひスイスへ!

 

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相良(さがら)700年

早くも1週間たってしまいましたが、SLに乗って人吉(熊本県)を訪れました。

人吉は相良氏が鎌倉時代から明治維新までの約700年間も統治していたところです。
江戸時代の人吉藩の石高はわずか2万2千石。隣国には強大な薩摩の島津氏が存在し、1581年の水俣合戦では大敗を喫しています。その後も豊臣秀吉の九州征伐、関ヶ原の戦いと何度も存続の危機に直面しましたが、相良氏はしぶとく生き残りました。
なかでも関ヶ原の戦いでは、初めは石田三成の西軍に味方し、大垣城を守っていましたが、重臣の機転により東軍の徳川方に転じたおかげで、相良氏は所領を安堵されました。


※国宝の青井阿蘇神社

この機転をきかせた重臣は相良(犬童)清兵衛という人物です。清兵衛が情勢を見極め、西軍から東軍へ寝返ったおかげで、相良氏の統治は江戸時代になっても続きました。
まさに清兵衛は相良氏存続の立役者なのですが、話はそこで終わりません。

人吉城址の近くにある人吉城歴史館によると、清兵衛は藩のなかで大きな力を持つようになり、やがて藩主をも無視し、横暴でわがままな行動が目立つようになります。ついには藩主が清兵衛の悪行を幕府に訴え、清兵衛は江戸に召喚(その後弘前へ流刑)、残された一族は反乱を起こし、全員死亡したそうです。

人吉城址には今は石垣だけが残っています。


※人吉は焼酎も有名です

 

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東京五輪に思う

五輪関連のニュースをいくつかピックアップ。

東京オリンピック、祝日を移動して開会式前後を4連休、閉会式前後は3連休に…
五輪イヤーは休み拡大も スポーツ庁、柔軟対応を周知

ちなみに大会ボランティア募集要項によると、1日8時間程度、10日以上の活動が基本で、研修を複数回受ける必要があります。「ボランティア」ということで無給です。
10日以上という条件は社会人には厳しいでしょうし、真夏の五輪なのでシニアには過酷ですから、8万人を確保するためは大学生の参加を期待しているのでしょう。

もっとも、こんなニュースもありますね。「経済効果」はどこへ行ってしまったのでしょうか。
「期間中に夏休み」政府、首都圏企業に要請
東京五輪期間中は「ネット通販ひかえて」 前回はなかった混雑リスク、協力呼びかけ

極めつけはこれ。
東京五輪へサマータイム論 暑さ対策に腐心 官房長官は慎重

せっかく近所で開かれるオリンピック・パラリンピックなので協力しようという気持ちはあるにせよ、今になって国民全体が影響を受けるような「祝日の変更(これは決定ですよね)」「サマータイム(今のところアイディアのみですが)」といった話が出てきたり、ボランティアに参加しやすいように政府が大学のスケジュール変更を求めたりと、東京で開催するスポーツイベントにすぎないのに、いい加減にしてほしいという気持ちが先に立ってしまいます。
元号の変更・発表時期の件もそうですが、国民生活への影響を抑えるどころか、目的のためには国民を一斉に動かすことに何のためらいもないように感じてしまいまうのは私だけでしょうか。

それにしても暑いですね。2020年の夏はどうなることやら。

※シラスやパセリの落とし主が見つかったのか気になります。築地市場より。

 

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ベトナムから日本へ

再びベトナムの話で恐縮です。
ハノイから羽田への帰国便に乗ったら、フライトはANAだったのに、周りがベトナム人ばかりで驚きました。満席に近いエコノミークラスのお客の大半がベトナム人だったのです。
私の隣に座った女性は新宿の日本語学校に通うとのことで、食糧でも入っているのか、かなり重たい荷物を持っていました(棚に入れるのを手伝ったら、ズシッときました)。前の席の3人組は観光旅行らしく、「渋谷のどこどこに行きたい」なんて話をしていたようです(たぶん)。

在留ベトナム人が急増

それにしても、日本のキャリアでここまで日本人が少ない便に乗ったのは初めてでした。ちょっと気になったので、帰国後に関係ありそうなデータを探してみました。

法務省が3月2日に公表した外国人入国者数(確定値)によると、2017年に日本に入国したベトナム人は32万人で、前年より31%も増えたそうです(入国者全体では同18%増)。日本を訪れる外国人が5年前の3倍に増えているなかで、ベトナムからの入国者は5倍にもなりました。

これだけ増えれば日本へ向かう便がベトナム人ばかりとなっても不思議はありません。
ただし統計を見ると、中国をはじめ他国の場合には、入国者の9割以上が観光などの短期滞在者なのに対し、ベトナムの場合、短期滞在目的は入国者の57%にすぎないこともわかりました。

そこで、次に3月27日公表の在留外国人数の推移を見てみると、ベトナム出身の在留者が急激に増えたのはこの5年間のことでした。いまやベトナム人在留者(26万人)はフィリピンやブラジルよりも多く、中国(73万人)、韓国(45万人)とともにトップ3の地位を占めています。

地方の人手不足を埋め合わせ

在留資格別の統計を見ると、ここにも際立った特徴がありました。ベトナムからの在留者は「技能実習」「留学」の割合が75%(在留外国人全体では32%)を占めています。しかも「技能実習」は前年の4割も増えました。

つまり、多少の想像を交えて言うと、日本を訪れるベトナム人が急激に増えているのは、観光もさることながら、いわゆる「出稼ぎ」が多いとうかがえます。もしかしたら「留学」も、主目的はアルバイトで稼ぐことなのかもしれません。
さらに統計を見ると、外国人在留者の多くが大都市圏に集中する一方、「技能実習」の外国人(ベトナム人が5割弱を占める)はむしろ地方に多いので、地方の人手不足を来日したベトナム人で埋めている構図が浮かんできます。

私の乗った帰国便がベトナム人ばかりだったのは偶然かもしれません。しかし、最近も「技能実習生として来日したベトナム人が福島県で除染作業に従事」というニュースもあったことですし、日本とベトナムの関係を改めて考えるきっかけになりました。

 

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