週末に佐賀県の唐津に行きました。
福岡市営地下鉄がJR筑肥線に乗り入れていて、約1時間で到着します。
唐津城では、幕末に活躍した小笠原長行(ながみち)という人物に関心を持ちました。
1822年(文政5年)唐津藩主の長男として生まれる
・翌年父が亡くなるが、幼少のため藩主になれず
・江戸に出て、学問に励む
1857年(安政5年)土佐藩主・山内容堂らの推挙により世継ぎとなる
1862年(文久2年)幕閣に入り、若年寄を経て老中格となる
・生麦事件の処理にあたる(賠償金支払い問題)
1865年(慶応元年)老中となる
・長州処分の全権を委任される
・第二次長州征討で小倉口総督となるが、敗北
1868年(慶応4年)大政奉還
・戊辰戦争で会津、箱館(函館)まで従軍
・その後、東京で隠遁生活を送る
(唐津城の展示および唐津市サイトより作成)
藩主の長男として生まれたにもかかわらず、お国の事情から世継ぎになれなかった人物が、40歳くらいになって頭角を現し、短期間で異例の昇進を遂げ、老中となっています。しかも、何度も失脚しては、そのたびにカムバックしているのです。
逆に言うと、勝海舟もそうですが、この時代の幕府は必要とあれば柔軟な人事政策をとっていたのですね。
恥ずかしながら私は小笠原長行の存在を全く知りませんでしたが、幕府が滅亡にいたるなかでの重要人物であることは間違いなさそうです。