房総の小江戸

 

平日ですが、ちょっと一息。

先の3連休に訪れた大多喜は、徳川四天王の一人、
本田忠勝が整備した城下町です。

1590年に北条氏が滅亡し、徳川家康が江戸に入った際、
警戒していた安房の里見氏の勢力を抑えるため、
重臣の本田忠勝を大多喜に配置したそうです。

当時の石高は10万石でしたが、政権が安定するにつれ、
城主の石高が減り、17世紀半ば以降は2万石で推移しています。

丘の上にある城から見ると、夷隅(いすみ)川が大きく蛇行し、
外堀のようになっていて、その内側に町が広がっています。
城下の町を歩くと歴史的な建物があちこちに残っており、
確かに「房総の小江戸」といった雰囲気を感じます。

豊乃鶴酒造(写真左)という蔵元があったり、
湯葉を売っていたりしたので、水のいい土地かと思い、
「商い資料館」という古い商家を改装した施設で
係の女性に聞いた(実際には話しかけられた)ところ、

「大多喜は井戸を掘ると茶色い水が出るんですよ」

とのこと。意外な返事でしたが、実はこれ、天然ガスなのです。

大多喜は「天然ガス発祥の地」で、明治時代に井戸を掘っていて
偶然見つかったそうです。
タバコの吸殻を落としたら燃え出したので、びっくりしたとか。
1931年には日本初の天然ガス事業会社も設立されています。

「少し前に爆発事故があって、大変な騒ぎになったんですよ。
 勤務中の警官がトイレでライターに火をつけたらドカーン。
 『何となくガスの臭いがした』と言っていたらしいのですが、
 だったら普通そこで火はつけませんよねぇ」

なんて話も飛び出しました。

調べてみると、確かにそのような事故がありました。
2010年3月5日の深夜、交番内の男子トイレで爆発があり、
警察官が顔と手に軽いやけどを負ったそうです。
地中の天然ガスが、排水管を伝ってトイレ内に充満したのではと
みられています。

ちなみに大多喜の天然ガスは無臭のようですが、
「何となくガスの臭いがした」のかどうかは不明です^^

「房総の小江戸」でガス爆発の話を聞くとは思いませんでした。

 

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社外取締役の義務化見送り

 

法制審議会の部会で会社法改正の要綱案が示され、
コーポレート・ガバナンスの向上策として検討されていた
社外取締役の選任の義務付けが見送られました
(18日)。

昨年12月の中間試案では、設置を義務付けるものでした
(A案は会社法の監査役会設置会社、B案は金商法の
 有価証券報告書の提出会社に義務付け)。

しかし、一転して今回の要綱案となった背景には、

「経営の適正な監督を行うことができるか否かは、
 社外取締役であるといった形式的な属性ではなく、
 個々人の資質や倫理観といった実質により決まる。

 また、監督を行うにあたっては、専門的な経営判断の妥当性をも
 見極める必要があるが、社外取締役であれば常にそうした能力を
 備えているとは限らない。(中略)

 そのため、社外取締役は、各社が適正なガバナンスを確保する上で
 有効な仕組みについて創意工夫を凝らす中で、それを有用であると
 判断した場合に、自主的に選任すべきものである」
 (経団連HPより引用)

といった経済界からの反対がありました。

他方、日本証券アナリスト協会のアンケート調査
(1月の勉強会で実施)によると、
回答者の69.7%が選任義務付けに賛成しており、

「特に企業統治の在り方については、内外から強く求められている
 コーポレート・ガバナンスの向上を図るため、中間試案で示された
 方向性に添って早急に議論を深めていただきたい」

というコメントを公表しています(1/31)。

日本証券アナリスト協会のメンバーは大半が日本人ですが、
それでもこのような結果が出ています。
株式市場で6、7割の売買代金を占める外国人投資家の目には、
今回の動きはどのように映っているのでしょうか。

法制審議会では社外取締役に関する実証研究も踏まえて
中間試案に義務化を盛り込んでいるようなのですが...
社外取締役に関する実証研究(PDF)

※右の写真は大多喜にあった現役の旅館です。
 一度泊まってみたいですね。

 

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千葉の市場めぐり

 

今回は「市場」と言っても金融関連ではありません。

連休中、早朝に千葉方面に行く用があり、
夕方には東京駅で待ち合わせ、という条件のもと、
この間のフリータイムを使って千葉の勝浦と大多喜に
行ってきました。

勝浦は「日本三大朝市」の町です
(あと2つはどこだかご存じですか?)。
400年以上の歴史があるとか。

漁港なので海産物が多いと思っていたところ、
意外にも魚関係はそれほど多くはなくて、
どちらかと言えば野菜が中心のマーケットでした(写真左)。

今の季節だと、トマト、なす、ししとう、じゃがいも、夏大根...
まあ、地元の無人スタンドに並んでいる野菜たちと変わらない
(千葉と横浜は同じ首都圏ですからね^^)のですが、
地元客と思われる皆さんが、野菜をたくさん買い込んでいました。

巨大きゅうりを売っているおばちゃんがいて、
「これ、ずいぶん立派ですね!」と話しかけたら、
「忙しくて収穫するのが遅れたら、育っちゃったのよ。
 やわらかくて美味しいのよ」
とのこと。本当でしょうか?

連休中だったので観光客も結構いました
(知人に偶然出会ってびっくりしました)が、
ローカル色の強いマーケットという雰囲気でしたね。

勝浦を後にして、今度はローカル線(いすみ鉄道)で大多喜へ。
ここでは毎月5と10のつく日に朝市が開かれています。
野菜中心のこじんまりした市で、勝浦よりも
さらにローカル色が強い雰囲気でした(写真右)。

ただ、すでに11時だったので、会場の夷隅神社に行くと、
大半の店が片付けに入っていました。

「もう終わりなんですね」とおばあちゃんに声をかけると、
「(片づけながら)いやいや、まだやってるよ。
 トマトなんかどう? ばら売りもするよ。塩もつけるよ」

気がついたときには洗ったトマト(ばあちゃんが洗ってくれた)を
丸かじりする私がいたのでした。
足元には、ばあちゃんが出してくれた塩が新聞紙にのっています。
ばあちゃんと雑談しながら食べるトマトは実に美味しかったです。

大多喜やいすみ鉄道については、別の機会にとっておきましょう。

 

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超長期債市場の変化

 

超長期の負債を抱える生保のALMに関し、時々耳にするのが、
「日本では超長期債市場が十分ではない」というものです。

確かにそうかもしれませんが、10年前に比べると、
市場がかなり変化しているのをご存じでしょうか。

10年前(2002年度)の国債発行額(当初)は、
10年債が21.6兆円なのに対し、20年債は4.2兆円、
30年債は0.6兆円でした。
40年債の発行は2007年度からです。

2012年度の国債発行計画(当初)を見ると、
10年債が27.6兆円なのに対し、20年債は14.4兆円、
30年債は5.6兆円、40年債は1.6兆円となっています。

発行額が増えていることもありますが、
超長期債の発行はこの10年間で相当増えています。

40年債は年4回の発行で、かつ、1回あたり4000億円なので、
市場としてはまだまだ発展途上のように思いますが、
30年債は年8回発行、1回あたり7000億円ということで、
20年債には及ばないものの、徐々に育ってきているようです
(加えて「流動性供給入札」というものもあります)。

※ヨーロッパに行くと自転車の活躍が目につきますね。

 

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保険と助け合い

 

前々回ご紹介した「物語で読み解く リスクと保険入門」のなかに、
「『一人は万人のために、万人は一人のために』理念募集の限界」
という記述があります。

私も「仕組みとしての相互扶助」と「相互扶助の理念」は別の話
と思っていましたので、これを読んで思わずうなずいてしまいました。

本書では次のように整理しています。

「保険の仕組みが社会的に有用であるのは、相互救済の理念を
 実現するための手段を提供しているからではなく、
 保険という仕組みをとおして社会的に有用な機能を発揮しているため」

「保険が存在した場合には、社会全体のリスクを軽減できる。
 まさにこのことこそがビジネスのなかで保険が存在する根拠である」

いかがでしょうか。

万人が支払った保険料が一人のために使われるのは確かです。
でも、それはあくまで保険という仕組みの話であって、
保険に加入するのは自分のため、すなわち、
「将来の経済的な不確実性を減らすために加入する」
というのが原則でしょう。

相互扶助を目的とした組織を否定するものではありませんが、
保険事業は助け合いのために営まれているわけではないと思うのです。

 

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健全性規制の動向

 

ニッセイ基礎研究所の荻原邦男さんが
「生保会社の健全性規制の動向(1)」というレポートを出しています。
(1)とあるので、何回か続くのかもしれません。
ニッセイ基礎研HPへ

第一回目のテーマは、
「日米欧の健全性規制で現在何が問題となっており、
 それはどのような歴史的経緯によるのか」
でした。

詳しくはレポートに譲りますが、EUでは
・ソルベンシーⅡが円滑なスタートを切れるかどうか
・ソルベンシーⅡの同等性評価による他国への影響
に注目とのこと。

他方、米国では「ORSA(Own Risk and Solvency Assessment)」
というリスクとソルベンシーの自己評価制度の導入について
紹介しています。

荻原さんが米国ORSAに注目する理由は、次の通りです。

・米国の監督規制は基本的にルール・ベース(細則主義)色が強い。
 ORSAはプリンシプル・ベース(原則主義)の規制であり、
 どのように運営がなされるのか。

・リスクの自己評価は、つまるところソルベンシーⅡにおける
 経済価値的評価につながるもの。
 「従前路線の踏襲」とどのように併存していくのか。

・どの国にも共通するが、ORSAの実施は民間だけでなく、
 監督サイドに相当な資源が必要になるものと考えられ、
 米国がどのように対応するかも焦点のひとつ。

さすが荻原さん。鋭いコメントだと思います。

※いつもの通り個人的なコメントということでお願いします。

※日本の郵便制度は英国を参考にしたそうですが、
 ポストの色まで参考にしたのかどうかは不明です。
 最初(1871年)の日本のポストは黒かったようですし、
 英国で赤いポストが登場したのは1874年とのこと。

 

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ロイズのネッシー保険

 

ロイズについて調べ物をしていたら、米山高生先生の
著書「物語で読み解く リスクと保険入門」のなかに、
ネス湖の怪獣ネッシーを捕獲した際の懸賞金の補償を
ロイズが引き受けたという話が載っていました
(ちなみにそれを調べていたわけではありません^^)。

米山先生はこの件について、
・保険集団による危険の分散ができないのに
 ロイズはなぜリスクを引き受けることができたのか?
・このようなリスクの引き受けを保険契約と呼べるか?
という疑問を持ったそうです。

「1つめの疑問はロイズの資本力と再保険ネットワークで
 解決できるとして、ネッシー保険のような保険集団を
 構成しない保険を保険契約と考えるのは妥当なのか」

米山先生は2つめの疑問への暫定意見として、
「保険会社が保険契約の様式でリスク移転の契約を行えば、
 そのリスクをどのように手当てしたとしても保険契約である
 と考えるのが自然」
と述べられていますが、皆さんはいかがでしょうか。

リスクマネジメントという観点からすると、
私の関心はやはり1つめの疑問にあります。

ロイズは「スペシャリティ」と呼ばれる企業向けの
特殊な保険を引き受けることが強みの一つとなっています。
ある程度はモデル等で管理できる部分もあるとはいえ、
基本的にはハイリスク・ハイリターン型のビジネスです。

この本によると、ロイズはギャンブル性の高い契約をしていた
一部のアンダーライターと決別するなど、市場としての規律を
保つための継続的な努力が行われてきたとのこと。

それでも個人が無限責任を負う長年の仕組みは
さすがに困難となり(1990年代初めの「ロイズ危機」)、
現在はほとんどの出資者が有限責任となっています。

ロイズ市場の運営も各シンジケート任せというわけではなく、
コーポレーション・オブ・ロイズがシンジケートを管理し、
リスクを分析しているようです(公表資料を参照)。

ただ、このビジネスの特性を考えると、最後は各シンジケートの
アンダーライターによるところが大きいのだとは思います。

 

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今でも建設ラッシュ

 

2008年の金融危機で英国の金融機関は大きな打撃を受け、
ロンドンの金融街シティーでは大リストラが実施されました。
シティーで活躍する金融機関は英国勢だけではないので、
欧州債務危機の影響も無視できません。

例えばBloombergの記事をみると、英国の金融サービス業界では
昨年だけで約5.8万人の人員削減があった(=世界最多とのこと)とか、
スクエアマイル(=シティー)の雇用が8.5%減少したとか出ています。

しかし、金融街を歩くと、意外にもクレーンがあちこちで見られ、
建設ラッシュが続いているような印象でした。

一つには、オフィスから高級マンションへの改築があるようです。
シティーのオフィス需要は低迷しており、貸すにも売るにも
このままではどうしようもないということなのでしょう。
加えて税金対策という面もあるとか。

ただ、もう一つは、好況時の開発計画を止められない、
ということかもしれません。1990年代後半の東京がそうだったように。

それにしても、ロンドンを歩くと新しいビルが目につきますね。

 

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ワークショップの「作法」

 

海外でワークショップなどに参加すると、
報告者が率先して説明中に質問を受け付け、
実際に参加者から多くの質問が出ます。
今回のスイスでの会合もそうでした。

日本では、報告者の話をすべて聞いてから、
最後にまとめて質疑応答を受け付けるというのが
一般的なワークショップや研究会の「作法」だと思います。

この「作法」の悪いところは、議論が深まりにくいことでしょう。
単なる発表会になってしまいがちです。

それでは海外の「作法」が優れているのかといえば、
これもケースバイケースだと思います。

例えば発表内容について一定の知識があり、
発表の全体像を踏まえたうえでの質問があれば、
質疑応答を通じて議論が深まるかもしれません。

ただ、これまでの経験からすると、
途中で「どうしてそれを今聞くの?」という質問が入り、
その結果、時間が足りなくなり、最後は駆け足で終わる、
というパターンも結構多いような気がします。

最後に質問しようとのんびり構えていると、
下手をすると時間切れです。それでは困るので、
仕方なく質疑応答に参戦することになりますが、
このタイミングが結構難しいんですよね。

こうなってくると、議論が深まるというよりは、
むしろ議論が拡散してしまうかもしれません。
表面的に「活発な質疑応答が交わされた」というだけでは、
そのワークショップは成功したとは言えないでしょう。

ということで、どこで質疑応答をするかが本質ではなく、
議論を深めるために報告者がどのような工夫をするか、
なのでしょうね。

※7年ぶりのロンドンです。

 

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スイスの多言語文化

 

週末にムルテンという小さな町を訪れました(写真)。
ベルンから電車で1時間弱のところです。
たまたま月1回のフリーマーケット(?)をやっていて、
多くの人で賑わっていました。

このムルテンは中世の姿が残っているというだけでなく、
ちょうどドイツ語圏とフランス語圏の境目に位置しており、
町の名前がムルテン(独)/モラ(仏)と二つあります。
住民はどちらの言葉も不自由なく使えるのでしょうか?
どんな生活をしているのか気になりますね。

スイスが多言語文化の国ということは昨年も紹介しました。
「スイスの存在感」
ドイツ語が約6割と最大で、フランス語が2割、
イタリア語とロマンシュ語はさらに少数派のようです。

ところが近年、ドイツ語圏ではフランス語などの国語より、
英語を優先して教える傾向が強まっているとか。
確かに仕事の世界では英語が共通語となっているので、
そうなってしまうのも理解できる話です。
ただ、フランス語圏など少数派には面白くないでしょうね。

スイスという国は自治権をもつカントンの集合体として
歴史的に形成されてきました。
ドイツ語を使うカントンやフランス語を使うカントンがあり、
カントンどうしがおたがいを尊重してやってきたため、
今の多言語状況があるようです。

言葉の問題でこじれると、カントンどうしの結びつきが
弱まってしまうおそれもあるのでしょうね。
一介の旅行者の感想にすぎませんが。

 

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