16. その他

海外旅行に行かない若者

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本日(10日)の日経1面「春秋」より。

海外旅行への関心が薄いと言われる若者層のなかで
人気急上昇中の行き先がバングラデシュとのこと。
普通の観光旅行ではなく、学校建設に汗を流したり、
工場で工員と交流したり、肌で途上国を理解する旅だそうです。

私も先日行ったベトナムで同じような大学生たちと出会いました。
ベトナムのろう学校で何日間かボランティアをしてきたと、
子どもたちと遊ぶ写真を見せてもらいました。
本格的なボランティアではないけれど、単なる観光旅行ではなく、
いい旅をしているなあと感心したものです。

20代の海外渡航者数は10年前に比べ、4割近く減っています。
20代人口が2割減ということを踏まえても、かなりの落ち込みです。
就職難や所得水準の問題が大きそうですが、それだけではなく、
関心が内向きになっている面もあるのでしょう。

同じ日経1面には、日本だけが米国での留学生を減らしているという
記事が載っていました。

ただ、「みんなが行くから」「ブランド品が安く買えるから」
という旅行が減る一方で、このような体験型の旅が増えるのは、
悪い話ではないのでしょうね。

※左の写真に小さく映っている彼らが、私が出会った大学生です。
 右はホイアンで「日本橋」と呼ばれている屋根付き橋。
 400年前にはここに日本人町があったそうです。

 

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ベトナムの旅(5)

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ベトナムは基本的に「定価」というものが存在しない世界です。
高級ホテルに泊まり、スーパーで買い物していれば別ですが、
普段の買い物では料金交渉が当たり前。
だいたい言い値の7、8割で決まることが多いようですが
(ベトナム人同士の場合)、相場観のない旅行者には
もっとふっかけてきます。

タクシーも油断できません。事前に交渉しておかないと
あとからひどい目にあうこともしばしばです。
他方、レストランや食堂はなぜか定価でした。

ついでに言うと、偽物も広く出回っています。
市場には高級ブランドのバッグや化粧品がたくさん並んでいましたが、
どれも偽物と思って間違いありません。
地元のベトナム人ガイドさんも、
「偽物の化粧品はかぶれるので、ここでは買わない」
とか。

経済が発展するにつれ、徐々に変わっていくのでしょう。
でも、今のベトナムは、定価の世界に慣れきっている日本人にとっては
何かとストレスが大きいです。

※右の写真のアヒルは売り物です。いくらだったのでしょうか?

 

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ベトナムの旅(4)

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旅の最後はベトナム中部の港町ホイアンでした。
歴史的な町並みが残り、世界遺産に指定されています。
車やバイクの乗り入れを制限しているので、落ち着いた町でした。

現在残っている町並みは古くても18世紀以降のものですが、
ホイアンが国際貿易港として最も繁栄したのは17世紀です。
17世紀前半には鎖国前の日本からの朱印船が来航し、
大規模な日本人町がありました。

17世紀の東南アジアは国際的な貿易が盛んで、
中国人やオランダ人ばかりでなく、日本人の海外進出も目立ちました。
山田長政がアユタヤで活躍したのもこの時代です。

しかし、江戸幕府の鎖国政策により、状況は一変します。
朱印船の来なくなったホイアンの日本人町は徐々に衰退し、
17世紀末には4、5軒しか住んでいなかったようです。

当時をしのぶ建物はほとんど残っていません。
ただ、町のシンボルとなっている屋根付き橋の名前は通称「日本橋」。
日本人町の入口にあったから、あるいは日本人が作ったからと言われています。

もう一つ、町から少し離れた田んぼのなかに日本人の墓があります
(下の写真)。
鎖国令が出て、多くの日本人が帰国するなかで、
ホイアンにとどまろうとした谷弥次郎兵衛の墓だそうです。

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ベトナムの旅(3)

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首都ハノイとホーチミンを結ぶベトナム国鉄に乗ってみました。
フエからダナンまで約100kmの旅です。

ベトナムの鉄道はお世辞にも発達しているとは言えません。
ハノイとホーチミンを結ぶ最重要路線でも1日5便しかなく、
単線・非電化で、最速30時間近くもかかります。
しかも車内の設備はかなり老朽化しています。

ただ、ツーリストにとっては旅情満点。懐かしの汽車旅を楽しめました。
特に私が乗った区間は海岸近くの峠を超える絶景コースだったので、
多くの旅行者が車窓の景色を満喫していました。
時間もかなり正確でしたし、乗務員も多く、安心です。

乗客どうしの交流もあります。
同じコンパートメントのベトナム人カップルは新婚さんで、
ハネムーンでビーチリゾートに行く途中とか。
京都の高校で英語を教えている2人のアメリカ人とも
日本語&英語で話すことができました。
日本で新幹線に乗っても、隣の人に話しかけたりしないですよね。

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ベトナムでも高速鉄道を作る計画があるそうです。
日本の新幹線を導入する可能性が高いとか。
完成すればかなりのスピードアップになるはずで、
おそらくハノイ・ホーチミン間は10時間以内でしょう。

資金面の問題は大きいようですが、在来線の改良では
限界があるように感じました。

 

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ベトナムの旅(2)

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ホーチミンから飛行機で古都フエに来ました。
ベトナム最後の王朝である阮(グエン)朝の都が置かれ、
世界遺産にも登録されています。

阮朝は1802年から1945年まで続いたものの、
1880年代以降はフランスが実権を握りました。

インドの権益を失ったフランスはインドシナに目を向け、
1850年代から阮朝への攻撃を開始し、支配地を広げます
(1859年サイゴン占領、1862年メコンデルタの一部割譲など)。
そして1884年には宗主国である中国(清)を破り、
ベトナムを名実ともに保護国としました。

1850年代といえば日本にペリーが来た時期です。
しかも、徳川幕府は末期にフランスの軍事協力を仰いでいます。

日本が植民地にならず近代国家へ脱皮できたのは、
もちろん当時の日本の優れた面もあったはずですが、
地理的条件に加え、米国の南北戦争、イギリスの小英国主義、
フランスの普仏戦争敗北など、運にも恵まれたのでしょうね。
歴史に「もし」は禁物ですが、いろいろ考えてしまいます。

 

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ベトナムの旅

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ホーチミンでは日本語の話せる(通じる?)ベトナム人ガイドさんとともに
地元の人が行く市場やお寺(ベトナム人の多くは仏教徒なのです)、
南ベトナム時代の旧大統領官邸、クラシックな中央郵便局などへ。
自分だけで歩くよりも、一歩踏み込んだホーチミンが見えたように思います。

彼女によると、ベトナムは貧富の格差が大きく、中間層が少ないとか。

社会主義国にありがちな話ですが、世の中に賄賂がはびこり
(少なくとも多くの人はそう感じているようです)、
豊かな人はますます豊かになる傾向があるといいます。
ただ、貧しくても大家族で暮らしているので、生活はできるようです。

若い人が多いなあと思って調べてみると、
人口の半分が20歳以下と、1960年代の日本のようです。

勤勉と言われるベトナム人。しかし彼女は、
「男の人は働かないで遊んでばかり」という話を強調していました。
確かに、道端や公園でお茶を飲んだりゲームに興じたりしている
男たちをあちこちで見かけました。

日本のプレゼンスですが、車やバイクは圧倒的に日本ブランドです。
でも、日本の存在感が高まったのは最近のことのようです。
それでも今では中心部に近いエリアに通称「日本通り」ができています。

日本は太平洋戦争でベトナム(当時の仏領インドシナ)を侵略した
歴史があるものの、韓国人(ベトナム戦争に米軍側で参戦した)や
中国人(商売上手だから?)に比べると、好かれている感じです。

ガイドさんからも、「ホーチミンの国際空港ターミナルは日本が作った」
「今、ホーチミンで大きな橋を日本が作っている」という話を聞き、
ODAの重要さを改めて感じました。

 

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無事に卒業できました

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先週の金曜日(19日)が出社最終日でした。
午前中に引き継ぎで訪れた会社は偶然にもかつての勤務先で、
担当者(これまた偶然にもかつて同じ部で働いていた先輩)を
驚かせてしまいました。
世間ではどんなふうに伝わっているのでしょうか。

午後からはメールで退職のご挨拶。
これが予想以上に時間がかかり、3時すぎになって
ようやく次の作業(荷物の片付け)に取りかかりました。

その後も社内の挨拶やメール・電話対応などに追われ、
片付けは思うように進みません(ありがたいことですが)。
結局オフィスを出たのは夜10時近くでした。

計画は立てるものの、最後はバタバタになり、
それでもすべりこみセーフという、私のいつものパターンですね。

さて、春休みです♪
まずは家族みんなで伊東温泉に来ています。
春の伊豆を楽しむはずだったのに、天気は大荒れ。
それでも強風のなかを散策したり、温泉でふやけたりしています。

※右の写真は曇っているように見えますが、晴れています。
 黄砂でこのようになってしまいました。

 

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ようこそ先輩

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「課外授業 ようこそ先輩」という番組がありましたよね。
番組とは別ですが、出身校である横浜翠嵐高校に行き、
現役高校生の前で話をするという機会に恵まれました。

キャリア教育の一環で、卒業生が仕事についてスピーチを行い、
今後の進路選択等の参考にしてもらおうという企画です。
4回目の今回は私を含む15人のOBが各教室に分かれ、
教壇に立ちました。

普段からスピーチをする機会がそれなりにあるとはいえ、
高校生に話をするのは初めてです。

15人の内訳は、大学の先生(2人)、医師(2人)、弁護士(2人)、
編集者(2人)、パイロット、自動車メーカー、電機メーカー、海運、
コンサルティング会社経営、県庁勤務、そして私。
イメージしやすい職業の方々をうらやましく思いました^^

いつもなら「保険会社担当のアナリスト」ですむところですが、
高校生には「保険」も「アナリスト」も通用しませんよね。
私の仕事を理解してもらうべく、いくつかのキーワードについて、
黒板に下手な絵を描きつつ解説したのですが、どうだったでしょうか。
あとでアンケートの結果を見るのがちょっと怖いです...

ひとつだけ、これは話しておきたいと思っていたことがありました。

私の時代とは違い、最近の翠嵐高校は超進学校を目指しています。
入学するのが大変(オール5レベルでないと入れません)なだけではなく、
入学してからも3年後の大学入試に向けて勉強、勉強という雰囲気で、
行事は減り、部活は時間を制限しているとか。

OBとしては母校の超進学校化は複雑な心境ですが、
今の世の中にあって、そのような学校運営の選択を
外野がとやかく言うことはできないと私は思います。

ただ、受験勉強はどうしても一つの答えを出す方向に走りがちです。
そこで「物事には様々な見方がある」「角度を変えると見えてくるものもある」
ということをわかってもらいたくて、いくつかパズルを出しました
(川に行って水を汲んでくるルートや、上り/下り電車の謎とか)。

果たして彼らにメッセージとして何かを伝えることができたのか。
わかりませんが、まじめに聞いてもらえたようには感じました。

※教室の石油ストーブが25年前と同じでびっくりしました。
 休み時間にみんなでストーブを囲んでしゃべっていたのを思い出します。

 

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学校の大画面テレビ

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息子の通う中学校に50インチの大画面プラズマテレビが入りました。
しかしこのテレビ、非常に評判が悪いようです。

テレビを載せる台が低い(教室で観ることを想定していない)ので、
前の席だと大きすぎて見にくく、後ろだと前にさえぎられてよく見えません。
薄型なんだから壁掛けにすればいいのに。
「大きいのでじゃま」という問題もあるようです。

しかも、以前のテレビよりも電気を食うので、全校テレビ朝会など
学校全体でテレビを使うとブレーカーがすぐに落ちてしまうとか。
だから全校でテレビを観るときは照明や暖房を切るのだそうです。
こうなると悲劇を通り越して喜劇ですよね。

調べてみると、これは地元ではなく、国の政策でした。
麻生政権時代の2009年4月に取りまとめられた経済危機対策で
「スクール・ニューディール」構想が提唱され、そのなかに、

「全てのテレビを50インチ以上のデジタルテレビに買い替える」

という内容が入っていたのですね(もちろん予算も)。

ちなみにHPには次のように書いてありました。

「迫力ある高画質な映像により児童生徒の興味関心を向上させるとともに、
 各教室にモニターとして置くことにより、パソコンやデジタルカメラの画面、
 プリント、教材等を拡大表示し大きな学習効果を期待できるものです」

文部科学省「スクール・ニューディール」構想

現場の要請ではなく上から突然降ってきた話だったため、
先のような何ともちぐはぐな光景になってしまったようです。
それにしても、もう少し工夫のしようはあると思うのですが。

※鶴見線シリーズ。この駅の名前は「昭和駅」なので、
 かつて記念切符が売り出されたことも。

 

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大震災から15年

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きょう17日は阪神・淡路大震災の発生から15年ということで、
兵庫県などが主催する追悼式をはじめ、様々な追悼行事が行われています。

当時の私は鉄道会社を担当していました(保険担当ではなかったのです)。
さすがに震災直後の現地入りはかないませんでしたが、
4月上旬に阪神地区を訪れ、インタビューに加え、実地調査を行いました。
確かJRが復旧したばかりのタイミングだったように思います。

震災から2カ月弱たっていたとはいえ、多くの建物は崩れたまま、
道路はがたがたで歩きにくく、空気はほこりだらけでした。
しかし、三宮から電車で15分くらいの大阪は全く普通の状態で、
あまりのコントラストに衝撃を受けた記憶があります。

当時の調査メモをみると、次のようなことが書いてありました。

「(ある銀行の)取引先の社長で亡くなった人はいない。金持ちは強かった。
 金持ちでなく、会社のサポートもなく、古い家に住む弱い立場の人が
 一番ダメージを受け、現在でも困難が続いている感じ」

「テレビでは『避難所リーダーがんばる』といったものが目立つが、
 実際にはリーダーになれるような人は会社に出勤してしまい、
 女性は軽視されることが多く、リーダー不在が目立つ」

地震予測の技術が進んだとはいえ、いつどこで同じような被害が
発生しても不思議ではありません。
まずは家族で万一のときにはどうするか、話をしようと思います。

※横浜の山下公園です。この公園は関東大震災の復興事業として
 がれきを埋め立てて作られたそうです。

 

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