生保の株価は何で決まる?

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第一生命の株式会社化・上場から2週間ほどたちました。
とりあえず売り出し価格の14万円を上回って推移しています。
まずは順調な滑り出しと言えるのでしょう。

それにしても、日経ヴェリタス(4/11)の見出しではありませんが、
生保の株価は何で決まるのでしょう。

EEVは株主価値を一定の前提で算出したものです。
第一生命のEEVは2009年9月末時点で2.5兆円。
このうち修正純資産だけでも1.8兆円あります。
しかも、平均株価は9月末に比べ1割くらい上昇しているので、
修正純資産は3000億円ほど増えている計算になります。

長期国債利回りは概ね横ばいで推移していますし、
金融・証券市場のボラティリティも落ち着いているようですので、
EEVを大きく減らす要因にはなっていないように思います。

今後獲得する新契約も価値を生み出します。
2008年度の新契約価値は通期で835億円、
2009/9期は半期で333億円です。

しかし、第一生命の時価総額は1.6兆円程度で推移しています。

第一生命に限らず、日本の上場生保の株価(時価総額)が
EEVを大きく下回っているのはなぜなのでしょうか。

EEVが前提によって大きく動くため、市場はEEVを必ずしも
信頼していないのかもしれません。
ただ、前提によって大きく振れるといっても、第一生命の場合、
修正純資産だけで時価総額を上回っています。

修正純資産に最も大きな影響を与えるのは株価なので、
もしかしたら市場は将来の株安を織り込んでいるのでしょうか。
あるいは、市場は「健全性規制の強化」→「大規模増資」
を予想しているのでしょうか。

もちろん、株価は需給で決まる面もあるでしょうから、
単に売りたい人が多いという話なのかもしれません。
それでも株式市場は日本の金融セクターや生保業界に対し、
かなり保守的に見ていると言えそうです。

※コメントはあくまで個人的なもので、仕事とは一切関係ありません。

 

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海外旅行に行かない若者

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本日(10日)の日経1面「春秋」より。

海外旅行への関心が薄いと言われる若者層のなかで
人気急上昇中の行き先がバングラデシュとのこと。
普通の観光旅行ではなく、学校建設に汗を流したり、
工場で工員と交流したり、肌で途上国を理解する旅だそうです。

私も先日行ったベトナムで同じような大学生たちと出会いました。
ベトナムのろう学校で何日間かボランティアをしてきたと、
子どもたちと遊ぶ写真を見せてもらいました。
本格的なボランティアではないけれど、単なる観光旅行ではなく、
いい旅をしているなあと感心したものです。

20代の海外渡航者数は10年前に比べ、4割近く減っています。
20代人口が2割減ということを踏まえても、かなりの落ち込みです。
就職難や所得水準の問題が大きそうですが、それだけではなく、
関心が内向きになっている面もあるのでしょう。

同じ日経1面には、日本だけが米国での留学生を減らしているという
記事が載っていました。

ただ、「みんなが行くから」「ブランド品が安く買えるから」
という旅行が減る一方で、このような体験型の旅が増えるのは、
悪い話ではないのでしょうね。

※左の写真に小さく映っている彼らが、私が出会った大学生です。
 右はホイアンで「日本橋」と呼ばれている屋根付き橋。
 400年前にはここに日本人町があったそうです。

 

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チャネルシェアの変化

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久しぶりに保険ネタです。あくまで個人的なコメントで、
仕事とは一切関係ありませんのでお含み置き下さい。

2010.3.29の週刊金融財政事情に
「保険会社の時価総額世界ランキング」という論文が掲載されています。

論文のなかにセグメント別の新契約年換算保険料推移の図表がありました。
伝統的営業職員のシェアが、01年:7割 → 09年:4割と激減する一方、
銀行窓販や独立代理店(個人向け)のシェアが着実に伸びており、
日本の生保市場は市場内のマーケット・シフトが激しいとしています。

確かに伝統的営業職員のシェアは落ちているとは思いますが、
保険料なので、どうしても貯蓄性商品を扱う銀行窓販のシェアが
大きくなります。

利益、あるいは価値(EVなど)という観点で見れば、
08年度以降の銀行窓販はプラスかどうかも怪しいわけで、
保険料シェアの推移からマーケット・シフトが激しいとするのは
ちょっとミスリーディングだと思います。

他方、独立代理店(個人向け)のシェア拡大は、
もっと注目されていいのかもしれませんね。

 

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G20の正当性

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春休みが終わってしまい、社会復帰しつつあります。

さて、ベトナムの英字新聞を読んでいて、G20の正当性が
議論になっていることに(今さらながら)気がつきました。

金融危機の発生以降、世界的な経済問題を話し合う場が
主要8カ国のG8からG20サミットに移っています。
構成国は次の通りです。

G8=カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、ロシア、英国、米国、EU
その他=豪州、メキシコ、トルコ、韓国
      アルゼンチン、ブラジル、中国、インド、インドネシア、
      サウジアラビア、南アフリカ

次のG20サミット(金融・世界経済に関する首脳会合)は
6月下旬にカナダのトロントで開かれる予定です。

G20は世界のGDPの9割近くを占め、先進国だけだったG8よりは
世界経済を代表したものとは言えるでしょう。
また、昨年のサミットではASEANやAU(アフリカ連合)なども
参加しています。

それでも、例えば

「メンバーは選ばれたわけではなく自薦であり、他国の同意はない」
「低所得の国やアフリカの国はほとんどメンバーになっていない」
「G8なら『金持ち国』という定義が明確だが、G20にはそれがない」
「G20サミットではなく、国連がその役割を果たすべきだ」

といった声が出ているようです。

日本でこのような報道を目にしたことがなかったのは、
日本はG5の時代からメンバーだったので、
このような国際会議への参加は当然という意識
(むしろメンバーが増えると影響力が落ちる)
があるからなのでしょう。

※ベトナムの空港で三猿ならぬ四猿の置物を見つけました。
 4匹目はどういう意味なんでしょうか。

 

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ベトナムの旅(5)

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ベトナムは基本的に「定価」というものが存在しない世界です。
高級ホテルに泊まり、スーパーで買い物していれば別ですが、
普段の買い物では料金交渉が当たり前。
だいたい言い値の7、8割で決まることが多いようですが
(ベトナム人同士の場合)、相場観のない旅行者には
もっとふっかけてきます。

タクシーも油断できません。事前に交渉しておかないと
あとからひどい目にあうこともしばしばです。
他方、レストランや食堂はなぜか定価でした。

ついでに言うと、偽物も広く出回っています。
市場には高級ブランドのバッグや化粧品がたくさん並んでいましたが、
どれも偽物と思って間違いありません。
地元のベトナム人ガイドさんも、
「偽物の化粧品はかぶれるので、ここでは買わない」
とか。

経済が発展するにつれ、徐々に変わっていくのでしょう。
でも、今のベトナムは、定価の世界に慣れきっている日本人にとっては
何かとストレスが大きいです。

※右の写真のアヒルは売り物です。いくらだったのでしょうか?

 

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ベトナムの旅(4)

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旅の最後はベトナム中部の港町ホイアンでした。
歴史的な町並みが残り、世界遺産に指定されています。
車やバイクの乗り入れを制限しているので、落ち着いた町でした。

現在残っている町並みは古くても18世紀以降のものですが、
ホイアンが国際貿易港として最も繁栄したのは17世紀です。
17世紀前半には鎖国前の日本からの朱印船が来航し、
大規模な日本人町がありました。

17世紀の東南アジアは国際的な貿易が盛んで、
中国人やオランダ人ばかりでなく、日本人の海外進出も目立ちました。
山田長政がアユタヤで活躍したのもこの時代です。

しかし、江戸幕府の鎖国政策により、状況は一変します。
朱印船の来なくなったホイアンの日本人町は徐々に衰退し、
17世紀末には4、5軒しか住んでいなかったようです。

当時をしのぶ建物はほとんど残っていません。
ただ、町のシンボルとなっている屋根付き橋の名前は通称「日本橋」。
日本人町の入口にあったから、あるいは日本人が作ったからと言われています。

もう一つ、町から少し離れた田んぼのなかに日本人の墓があります
(下の写真)。
鎖国令が出て、多くの日本人が帰国するなかで、
ホイアンにとどまろうとした谷弥次郎兵衛の墓だそうです。

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ベトナムの旅(3)

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首都ハノイとホーチミンを結ぶベトナム国鉄に乗ってみました。
フエからダナンまで約100kmの旅です。

ベトナムの鉄道はお世辞にも発達しているとは言えません。
ハノイとホーチミンを結ぶ最重要路線でも1日5便しかなく、
単線・非電化で、最速30時間近くもかかります。
しかも車内の設備はかなり老朽化しています。

ただ、ツーリストにとっては旅情満点。懐かしの汽車旅を楽しめました。
特に私が乗った区間は海岸近くの峠を超える絶景コースだったので、
多くの旅行者が車窓の景色を満喫していました。
時間もかなり正確でしたし、乗務員も多く、安心です。

乗客どうしの交流もあります。
同じコンパートメントのベトナム人カップルは新婚さんで、
ハネムーンでビーチリゾートに行く途中とか。
京都の高校で英語を教えている2人のアメリカ人とも
日本語&英語で話すことができました。
日本で新幹線に乗っても、隣の人に話しかけたりしないですよね。

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ベトナムでも高速鉄道を作る計画があるそうです。
日本の新幹線を導入する可能性が高いとか。
完成すればかなりのスピードアップになるはずで、
おそらくハノイ・ホーチミン間は10時間以内でしょう。

資金面の問題は大きいようですが、在来線の改良では
限界があるように感じました。

 

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ベトナムの旅(2)

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ホーチミンから飛行機で古都フエに来ました。
ベトナム最後の王朝である阮(グエン)朝の都が置かれ、
世界遺産にも登録されています。

阮朝は1802年から1945年まで続いたものの、
1880年代以降はフランスが実権を握りました。

インドの権益を失ったフランスはインドシナに目を向け、
1850年代から阮朝への攻撃を開始し、支配地を広げます
(1859年サイゴン占領、1862年メコンデルタの一部割譲など)。
そして1884年には宗主国である中国(清)を破り、
ベトナムを名実ともに保護国としました。

1850年代といえば日本にペリーが来た時期です。
しかも、徳川幕府は末期にフランスの軍事協力を仰いでいます。

日本が植民地にならず近代国家へ脱皮できたのは、
もちろん当時の日本の優れた面もあったはずですが、
地理的条件に加え、米国の南北戦争、イギリスの小英国主義、
フランスの普仏戦争敗北など、運にも恵まれたのでしょうね。
歴史に「もし」は禁物ですが、いろいろ考えてしまいます。

 

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ベトナムの旅

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ホーチミンでは日本語の話せる(通じる?)ベトナム人ガイドさんとともに
地元の人が行く市場やお寺(ベトナム人の多くは仏教徒なのです)、
南ベトナム時代の旧大統領官邸、クラシックな中央郵便局などへ。
自分だけで歩くよりも、一歩踏み込んだホーチミンが見えたように思います。

彼女によると、ベトナムは貧富の格差が大きく、中間層が少ないとか。

社会主義国にありがちな話ですが、世の中に賄賂がはびこり
(少なくとも多くの人はそう感じているようです)、
豊かな人はますます豊かになる傾向があるといいます。
ただ、貧しくても大家族で暮らしているので、生活はできるようです。

若い人が多いなあと思って調べてみると、
人口の半分が20歳以下と、1960年代の日本のようです。

勤勉と言われるベトナム人。しかし彼女は、
「男の人は働かないで遊んでばかり」という話を強調していました。
確かに、道端や公園でお茶を飲んだりゲームに興じたりしている
男たちをあちこちで見かけました。

日本のプレゼンスですが、車やバイクは圧倒的に日本ブランドです。
でも、日本の存在感が高まったのは最近のことのようです。
それでも今では中心部に近いエリアに通称「日本通り」ができています。

日本は太平洋戦争でベトナム(当時の仏領インドシナ)を侵略した
歴史があるものの、韓国人(ベトナム戦争に米軍側で参戦した)や
中国人(商売上手だから?)に比べると、好かれている感じです。

ガイドさんからも、「ホーチミンの国際空港ターミナルは日本が作った」
「今、ホーチミンで大きな橋を日本が作っている」という話を聞き、
ODAの重要さを改めて感じました。

 

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卒業旅行(ベトナム)

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「家族で温泉」の次は、久しぶりにプライベートの一人旅。
ベトナム南部の都市ホーチミンにやってきました。

まだ周りをぐるっと回った程度ですが、街路樹のある通りが多く、
わずかにフランス植民地時代の面影を残しています。
もっとも、そのような街路樹のある通りにはバイクがあふれ、
一車線に5、6台のバイクが並んで走っています。
先日行った台北の比ではありません。

バイクの流れが途切れないので、なかなか道を渡れません
(そういえば信号が少ないようです)。
それでも地元の人たちはバイクの間を平気で渡っていきます。
見ているとバイクが歩行者をよけてくれるので、
へたにバイクを避けようとしてはいけないようです。

ところで今回は奮発してシェラトンに泊っているのですが、
窓から外を見ると、正面に「DAI-ICHI LIFE」の看板が。
第一生命のベトナム子会社のものです。
プライベートの旅でも保険と無縁ではいられないようですね。

 

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