16. その他

東京圏への議席集中は問題なのか

総務省が、25日に発表した2020年の国勢調査の速報値をもとに衆議院小選挙区の数を試算したところ、衆院小選挙区は東京、神奈川、埼玉、千葉、愛知で計10増え、宮城、福島、新潟、滋賀、和歌山、岡山、広島、山口、愛媛、長崎で計10減ることがわかりました。2016年の法律改正で議席配分方式が新しくなったこともありますが、人口が大都市に集中し、地方で減っているためです。
総務省のサイトへ

この結果を受けた各政党のコメント(25日のNHKニュースに載ったもの)を見ると、都市部と地方の議席バランスが変わる(地方選出の議員が減る)のを問題視する発言が結構ありました。
そりゃ、自らが地方選出という議員にとっては死活問題でしょう。「東京都など関東地方に議員の数が非常に集中していくことになる。そのバランスをどう考えるかも含め、この5年10年のことではなく、その先も考えながら議論しなければならない」と述べた安倍前首相の地元である山口県も試算では1減となっています。

こうしたコメントをしている各政党の方々と私とでは、どうも頭の中にある「あるべき姿」が違うようです。各政党のコメントから判断すると、1票の較差(格差)を2倍とするのが格差是正の目標(あるべき姿)となっているように見えるのに対し、私は、本来あるべき姿は格差ゼロだと考えています。完全に格差をなくすのは難しいにしても、できるかぎり格差をなくす方向にしていくべきです。
新たな方式で割り振り直したところで、人口が最小の鳥取2区と最大の東京22区では1票の格差が2倍あります。都市部に住んでいる有権者は正当な理由なく、地方よりも国政に参加する権利を制限され続けていると感じます。

東京圏への議席集中は何が問題なのでしょうか。地方の声が反映されにくくなるから?
1票の格差が大きいことで、これまでずっと都市部の声が反映されにくい状態なのに。
民主主義国家において、都市部の有権者の権利を制限する正当な理由などあるのでしょうか。つまるところ既得権益を守りたいということしか思いつきません。
もちろん、国として人口の大都市集中を是正するという政策は(賛否はともかく)理解できます。しかし、人口集中の是正で行うべき政策と、有権者の権利を守ることは全く別であって、東京圏に人口が集中した結果、国政を担う有権者の代表が東京圏に集中してしまうのは当然です。

都市部にすむ有権者(いま住んでいる福岡市中央区も最小選挙区との格差が2倍近くあります)としては、今後も主張し続けていこうと思います。

※睡蓮の向こうにNHK福岡放送局が見えます。

※NHKニュースが消えてしまうかもしれないので、各政党のコメントを残しておきますね。

自民党(逢沢選挙制度調査会長)
「1票の格差が2倍を超えない状況をしっかり確保していくことは、非常に大切な憲法上の要請だ。ただ、地方と都市部の議員の数の格差がさらに広がることは、国民も相当な危機意識を持つと思う。地方創生や一極集中の是正をさらに強化しないといけないし、党としてより配慮した努力が求められる」

立憲民主党(安住国会対策委員長)
「1票の格差を2倍以内に抑えていくことは、憲法の理念からもやらなければいけない。ただ、政治が本来、光をあてないといけない過疎地から議員を減らし、東京だけを増やせばいいということには、大変複雑で割り切れない思いだ。このやり方が果たして正しいかどうかは、これから議論したほうがいい」

公明党(井上政治改革本部長)
「新たな議席配分が実現すれば『1票の格差』が2倍以内となり、投票価値の平等が確保される。速やかに区割り案の検討が行われることを期待するとともに、その後、公職選挙法など必要な法改正を進めていきたい」

日本維新の会(馬場幹事長)
「人口が集中する地域の議席が増える一方、人口が減る地域では議席が減っていくというのは制度自体のひずみで、根本的な選挙制度の見直しをしていく時期が来ている。地方で現状と同じ程度の議席を確保しつつ、国内全体の定数は減らすことを検討すべきだ」

共産党(穀田選挙対策委員長)
「有権者にとってみれば、しょっちゅう選挙区が変わることになる。そもそも小選挙区制度そのものに根本的な問題があるのであって、この制度を変えることなしには1票の格差の問題は解決できない。選挙は民意をいかに正しく反映させるかが重要で、比例代表を軸にした制度に変える必要がある」

国民民主党(玉木代表)
「地方の衰退を助長することにつながらないか、強い懸念を感じる。『1票の格差』の問題は非常に重要だが、国土を守っていくためにオールジャパンの観点も必要だ。このまま地方の議席を減らしていいのか。憲法も含めて、根本に立ち返った議論を始めるべきだ」

 

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植物博士・牧野富太郎

日本の植物分類学の父と言われる牧野富太郎の生涯に触れる機会がありました。

牧野先生は幕末に高知県佐川町に生まれ、94歳で亡くなるまで生涯を植物の研究に捧げた人物です。東京大学に47年間勤め、理学博士の学位も受けているので、典型的な学者人生を送ったかただと思っていましたが、全くちがいました。
牧野先生は小学校中退という学歴で、本格的に植物の研究を始めた20代には、東大の植物学教室に「出入りを許されていた」という状態。豪商だった実家の支援で研究活動を行っていて、その負担から実家は没落してしまったとか。

その後、31歳で東大助手の職を得ます。でも、それだけでは家族の生活費にも足りず、借金まみれの暮らしぶりとなります(牧野先生にはコストを抑えようという発想がなかったみたいです)。
後年、発見した新種の笹に妻の名をとって「スエコザサ」と名付けていますが、壽衛子夫人の支えがなければ生活は不可能でした。牧野先生は随筆のなかで、「壽衛子は平常、私のことを ”まるで道楽息子を一人抱えているようだ” とよく冗談に言っていましたが、それはほんとうに内心そう思っていたのでしょう」と書いています(平凡社「牧野富太郎 植物博士の人生図鑑」より引用)。夫人の稼ぎを研究費に充てることもあったようです。

さらに、50代になって困窮が極まり、採集した植物標本などを海外の研究所に売ろうとしたこともありました。しかし、それを新聞報道で知った篤志家の支援によって危機を脱します。まるでドラマです。

東京大学での研究活動も常に順調だったわけではなく、植物学教室から突然出入りを禁止されたり、助手や講師になってからも何度か追放されそうになりました。
例えば48歳の時、助手でありながら研究の結果を次々に発表するので、権威や秩序を重んずる東大教授とぶつかり、休職となってしまいます。その後、牧野罷免反対の声が上がり、50歳で講師となりました。それだけ牧野博士が研究者として自由かつ有能だったのだと思いますが、その後も講師のまま77歳で辞職しました。

出身地の佐川町には「『朝ドラに牧野富太郎を』の会」があり、署名活動を行っています。エピソードには事欠かないので、描き方によっては面白いドラマになりそうですね。

 

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政府のワクチン確保

新型コロナウイルスのワクチン接種が当初の見込みよりも遅れることがわかりました。
日経のニュース(有料会員限定)

M&Aや業務提携などで基本合意に達しても、そこから本格的な交渉が始まるのであって、最終的に契約締結に至らず、破談になることもあります。基本合意とはそのようなものです。
過去には保険業界でも、三井海上、日本火災、興亜火災のケース(1999年10月に統合を発表し、2000年2月に破談)など、大型M&Aが最終合意に達しなかった事例がいくつかありました。
合意するかどうかの判断は、株主をはじめとするステークホルダーに対し、それが企業価値を高めると説明できるかどうかです。

ですから、基本合意しても破談となったり、当初の合意と最終的な契約が異なることは理解できるのですが、これが新型コロナのワクチンで悪いほうに生じてしまうとは、ステークホルダーたる国民としてはガッカリです。

念のため厚生労働省の発表文を確認しましょう。
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2020年7月31日の厚生労働省リリース「新型コロナウイルスワクチンの供給に係る米国ファイザー社との基本合意について(PDF)」

本日、厚生労働省は、米国ファイザー社が新型コロナウイルスのワクチン開発に成功した場合、来年6月末までに6000万人分のワクチンの供給を受けることについて、ファイザー社と基本合意に至りましたので、お知らせします。
今回の基本合意は、ファイザー社との間で供給量等の基本的な事項に関して合意を得たものであり、今後、最終契約に向けて速やかに協議を進めてまいります。(後略)

2021年1月20日の厚生労働省リリース「新型コロナウイルスワクチンの供給に係るファイザー株式会社との契約締結について(PDF)」

本日、厚生労働省は、米国ファイザー社の新型コロナウイルスワクチンについて、日本での薬事承認等を前提に、年内に約1億4,400万回分の供給を受けることについて、ファイザー株式会社と契約等を締結しましたので、お知らせします。
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基本合意では「6月末までに6000万人分の供給」だったものが、最終的な契約等(「等」が気になります…)では「年内に約1億4400万回分(1人に2回必要なので約7200人分)」と、供給が半年ずれてしまいました。

活動自粛により感染拡大を抑えこんでも、活動を再開すると再び感染が拡大する(まさに今の状況)ので、多くの国民はワクチンが普及するまでと不自由な生活を忍んできました。ですからワクチンの確保はどう考えても優先順位の高い政策です。供給が半年ずれるということは、ステークホルダーにさらなる不自由を求め、国の価値(GDPなど)を大きく傷つけることになります。某マスクの比ではありません。

日経報道が正しければ、政府は年末まで米国のファイザー本社と直接交渉していなかったそうで、世界的なワクチン争奪戦のなかで、優先順位の高い政策において、これが正しい戦い方だったとは思えません。

もちろん、交渉決裂によりファイザーからの供給がなくなってしまうよりはマシですし、英国アストラゼネカとは開発成功後に1500万人分の供給を第1四半期中(1-3月と推測)に受ける、米国モデルナ&武田とは上半期(1-6月)に2000万人分の供給を受ける契約をそれぞれ締結しているようなので、6月までワクチンが全くないという状況ではないかもしれません。
ただ、厚生労働省が少なくとも昨年12月の時点で想定していたスケジュールが遅れるのはほぼ確実なので、これが企業経営者であれば、ステークホルダーから責任を問われる事態だと思います。リスクマネジメントやガバナンスを学生に教える立場からしても、今後の展開に注目しましょう。

※写真は福岡・マリノアシティからの眺め。アウトレットがあります。

 

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飫肥の旅

杵築(大分県)、秋月(福岡県)に続き、年末に古い町並みが残る飫肥(おび。宮崎県)を訪ねました。
同じ九州でも福岡から宮崎は意外に遠くて、陸路では最短でも3時間強かかります。飫肥は宮崎からさらにローカル線に揺られること1時間余りのところにあります。

飫肥は伊東氏が代々治めた城下町です。伊東氏のルーツは曽我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経(すけつね)で、祐経の子が工藤を伊東に改めたそうです。戦国時代には島津氏と争って敗れたものの、豊臣秀吉に仕えて軍功を挙げ、飫肥にカムバック。関ヶ原の戦いでは徳川方につき、小藩ながら伊東氏の統治は幕末まで続きました。伊東氏が江戸時代を生き延びたのは、島津氏を監視する役割を担っていたのかもしれません。
なお、天正遣欧少年使節の伊東マンショも伊東氏の一族で、島津に敗れて豊後に逃れた際、キリスト教に出会ったそうです。歴史は面白いものですね。

城下町というと城跡や武家屋敷を見学するのが定石ですが、たまたま建物が気になって立ち寄ったところが「服部植物研究所」という、世界で唯一のコケ専門研究所でした(上と下の写真)。飫肥出身の植物学者である服部新佐(しんすけ)博士が終戦直後の1946年に研究所を設立し、ここを拠点にコケの研究を行っていたそうです。スタッフのかたに内部を案内していただき、顕微鏡をのぞいたり、標本や資料を拝見したりと、思いがけず楽しい時間となりました。

博士は家業の林業で稼いだお金をコケの研究につぎ込んでいたとか。今も十数名の研究員が所属し、研究活動を行っているそうですが、こうした研究所が大都市ではなく、小さな城下町で存続していることに感銘を受けました。

 

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2020年を振り返る

あけましておめでとうございます。
年末は早めに横浜に戻り、原稿チェックなどをしていました。例年ですと元日は実家(徒歩5分のところです)で会食をするのですが、今年は残念ながら中止して、代わりにみんなで近所の小さな神社へお参りしてきました。来年はいつものように実家で食事ができるといいですね。

それにしても、あっという間の1年間でした。備忘録として簡単に振り返ってみます。

<1月>
学会発表で年始から釜山へ。結果として2020年唯一の海外出張となりました。1月はマニラでの講演も予定されていたのですが、火山の噴火で延期となり、そのままになっています。

<2月>
福岡生活の準備で忙しくしていました。新型コロナ感染症の影響で、下旬から週に何回かテレワークを始めました。

<3月>
各種の催し物が相次ぎ中止となり、私もベトナムの旅を断念。代わりに娘と福岡から鹿児島に足を伸ばし、名物しろくまを味わってきました^^v。

<4月>
福岡生活スタート。緊急事態宣言が出ていましたので外食には頼れず、何とか自炊生活を軌道に乗せようと悪戦苦闘していました。授業開始は28日で、初回は事前準備にもかかわらず大混乱でした(涙)

<5月>
オンライン授業が本格的に始まり、準備とフォローに追われる日々でした。授業の中身よりも、ネット環境の整備や各種アプリの確認、動画アップなどに時間をとられ、厳しい日々でしたね。大学に来ていた先生がたとの情報交換が非常にありがたかったです。

<6月>
zoomやwebexなどのビデオ会議システムで説明会に参加したり、取材を受けたりするのが普通になりました。5月に続き、zoom飲み会も毎週のようにやっていました。

<7月>
4月以降、初めてキャピタスの築地オフィスに出社しました。前期の授業は無事(?)終了です。

<8月>
2週間ほど横浜の自宅で過ごしましたが、保険の書籍のため、どこにいても執筆の日々でした。

<9月>
後期の授業が始まり、ゼミで初めてリアルに学生に会えました(講義は引き続きオンラインです)。

<10月>
京都でスピーチがあり、初めて新幹線で横浜に戻りました。福岡の県立高校で話をしたのもこの月です。

<11月>
推薦入試の面接官を初めて担当しました。講義もゼミも比較的順調で、ネット関連に悩まされることも少なくなりました。月末には息子が福岡に初登場。

<12月>
福岡は太平洋側ではないので、天気の違いに驚きました(寒いです)。

こうしてみると仕事ばかりしていたようですが、過去のブログの写真をご覧いただくと、福岡市内を歩き回ったり、後半は唐津や別府、霧島など、九州の他県にも足を伸ばしています。
何よりほとんど体調を崩さず、健康でいられたのが幸いでした。マスクや手洗いの効果があったのかもしれませんね。

それでは今年も引き続きよろしくお願いいたします。

※港の見える丘公園から見たガンダムです。

 

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小笠原長行

週末に佐賀県の唐津に行きました。
福岡市営地下鉄がJR筑肥線に乗り入れていて、約1時間で到着します。

唐津城では、幕末に活躍した小笠原長行(ながみち)という人物に関心を持ちました。

 1822年(文政5年)唐津藩主の長男として生まれる
 ・翌年父が亡くなるが、幼少のため藩主になれず
 ・江戸に出て、学問に励む

 1857年(安政5年)土佐藩主・山内容堂らの推挙により世継ぎとなる
 1862年(文久2年)幕閣に入り、若年寄を経て老中格となる
 ・生麦事件の処理にあたる(賠償金支払い問題)

 1865年(慶応元年)老中となる
 ・長州処分の全権を委任される
 ・第二次長州征討で小倉口総督となるが、敗北

 1868年(慶応4年)大政奉還
 ・戊辰戦争で会津、箱館(函館)まで従軍
 ・その後、東京で隠遁生活を送る

 (唐津城の展示および唐津市サイトより作成)

藩主の長男として生まれたにもかかわらず、お国の事情から世継ぎになれなかった人物が、40歳くらいになって頭角を現し、短期間で異例の昇進を遂げ、老中となっています。しかも、何度も失脚しては、そのたびにカムバックしているのです。
逆に言うと、勝海舟もそうですが、この時代の幕府は必要とあれば柔軟な人事政策をとっていたのですね。

恥ずかしながら私は小笠原長行の存在を全く知りませんでしたが、幕府が滅亡にいたるなかでの重要人物であることは間違いなさそうです。

 

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大学生の生活変化

大学生協共済の知人から、全国大学生協連が行った緊急アンケート結果のご案内をいただき、興味深く拝見しました。
大学生協連のサイトへ

自由記入欄には経済的な不安や、リアルなつながりがないなかでの不安や不満、そして将来や進路に対する不安が増したという声が数多く寄せられています
(調査期間は4/20-30で、回答の半数弱が1年生)。

web授業

母集団に偏りがあるかもしれないので、あくまで参考として集計結果を見ると、まず、web授業で同時双方向型(学生と教員が顔を合わせるスタイル)が意外に支持されていないのが目につきました(項目26)。理由はわかりませんが、動画教材を活用したオンデマンド型のほうが「よりよく学べる」と回答した学生が多かったようです。
もっとも、「授業の特性によって異なるため1つには選べない」という回答が一番多く、これはそうだろうなあと思います。

web授業の通信状態は「ストレスなく受信できている」「時々途切れることがある」が4分の3を占める一方、通信環境以外で困っていることとしては、「目が疲れる」「集中力が続かない」が上位に挙がっていました(項目25、29)。確かに私も、時間が長くなると、対面よりも疲れる感じがします。

生活への影響

外出自粛は食生活にもに影響を及ぼしているようです。新型コロナで食事環境がどのように変わったのかという質問に対し、「自炊の機会が増えた」「外食の機会が減った」のほか、「間食が増えた」「食事をする時間帯が変わった(不規則になった)」という回答も多く挙がっています(項目41)。食生活での不安としては、「栄養バランスが悪いと感じる」「体重が増えた」が上位となりました(項目46)。
参考までに、回答者の半数弱が一人暮らしです。

そして、最近の体調について多かった回答が、「やる気が起きない」「ストレスを感じる」「目の疲れ」でした
(「特に問題なし」という回答も多いです)(項目47)。
調査期間にはまだ授業が始まっていなかった学生が半分弱いて、かつ、一日のうち「SNS」「テレビ・映画・Youtubeを見る」に多くの時間を使っている調査結果(項目20)を踏まえると、そのような回答が多いのも理解できます。
逆に言えば、授業を含めた生活のリズムをうまく作るのが大切だということなのでしょう。

 

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4月から大学教員となります

今回は個人的なお知らせです。
4月から福岡大学商学部の教員を務めることになりました。常勤なので、週の多くは福岡暮らしです。
マンションを借り、家具や家電などを準備して、ようやく4月から生活できる環境が整いました。

ただし、キャピタスにも非常勤として残り、月に数回は東京にも帰ってくる予定です。
ですから、ある程度はこれまでの業務に携わることになります(大学の兼業規定の範囲内で)。

大学では「保険論」「リスクマネジメント論」を担当します。福岡大学は福岡高等商業学校をルーツにもち、かつて石田重森先生が学長を務め(1995~99年)、日本保険学会の九州部会を主宰するなど、保険研究の盛んな大学と聞いています。
もっとも、新型コロナの影響で授業開始が2週間伸びてしまったので、残念ながら学生の皆さんにお目にかかれるのはしばらく先ですね。

ということで、本来は直接お伝えしたかったかたも大勢いらっしゃるのですが、新型コロナで多くの会合が中止となり、そうこうしているうちに、あと1週間で就任となってしまいましたので、ブログでお伝えすることにしました。
皆さま、引き続きよろしくお願いいたします。

 

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新型コロナの国別感染状況

欧州各国で新型コロナウイルスの感染者数が急速に増えています。
日本の感覚からすると、そもそもどうしてそんなに検査ができるのだろうかと思ってしまいます。ドライブスルー方式など、検査の手法がかなり異なるのでしょうね。

人口100万人当たりの感染者数が100人を超えているのは中国湖北省(1146人)のほか、

 韓国:160人
 イラン:156人
 イタリア:349人
 スペイン:123人
 スイス:159人
 ノルウェー:141人
 デンマーク:139人
 バーレーン:134人

となっています。あくまで3月15日時点のもので、欧州を中心に日に日に数字が大きくなっている状況です
(元データは日経「新型コロナウイルス感染世界マップ(3月15日)」、人口は容易に入手できた2018年のもの)。

次に、感染者数の多い国を中心に、人口100万人当たりの死者数を確認してみました
(元データは同じ)。

日本:0.2人
中国:2.2人
 湖北省:52.1人
 それ以外:0.1人
韓国:1.5人
イラン:7.5人

イタリア:23.8人
スペイン:2.9人
フランス:1.4人
スイス:1.3人

ドイツ:0.1人
イギリス:0.3人
ノルウェー:0.2人
デンマーク:0人
スウェーデン:0人

カタール:0人
バーレーン:0人

米国:0.1人

人口に占める感染者の割合が高くても、死亡者の多い国と少ない国があるのがわかります。もちろん、他の死因と比べて52人や23人が高いのかどうかという議論もあると思いますが、少なくとも人口対比で比べたほうがよさそうです。

日本の死亡者数は足元でやや増えてきましたが、何とか踏みとどまってほしいです。

※写真は武蔵小杉の遠景です。元住吉駅から。

 

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アルコール離れ

ニッセイ基礎研究所の久我尚子さんによるレポート「さらに進んだ若者のアルコール離れ」をきっかけに、若者および中高年のアルコール離れが話題になっています。
若者のほうは、飲酒習慣率が下がったということだけでなく、飲めるけど、あえて飲まない「ソーバーキュリアス」が20代の約4分の1を占めているとのこと。ソーバーキュリアス(Sober Curious)とは初めて耳にしましたが、飲まないのがクールという風潮なのでしょう。

せっかくなので、飲酒習慣率(飲酒習慣者の割合)のデータを厚生労働省「国民健康・栄養調査」で確認してみました。
この調査では、週に3回以上飲酒し、飲酒日1日あたり1合以上を飲酒するという回答を飲酒習慣者としています(日本酒1合はビール500ml、ワイン1/4本)。私は毎日は飲みませんが、この定義だと飲酒習慣者です。

まず、飲酒習慣者の割合は男女で大きな差があります。2017年の結果では、男性33.1%に対し、女性8.3%でした。
ただし、かつてに比べ、その差はかなり縮まってきました。男性の飲酒習慣率が下がる一方、女性はどちらかといえば上昇傾向にあるためです。

久我さんは1997年と2017年のデータを比べていて、確かに男性はどの年代でも飲酒習慣者の割合が減っています。
私の世代(50代男性)の2017年の飲酒習慣率は43.8%ですが、20年前の50代男性は61.2%も飲酒習慣者がいたのですね。ついでに言えば、喫煙習慣のある人も6割近かったようで、確かに当時の飲み会はたいてい煙くて嫌でした。

さらに、この20年間を前半の10年間(1997年から2007年)と後半の10年間(2007年から2017年)に分けて比べてみました。すると、30代と40代は継続的に比率が低下しているのに対し、20代および50代以上は前半の10年間のみ下がっています。
飲酒習慣率は30代あたりで高まります。2017年の40代は2007年の30代、1997年の20代に相当するので、それまでの世代とちがい、1997年の20代からは年齢を重ねても飲酒習慣がつきにくくなったと言えそうです。健康志向や職場の飲み会の減少といった世代に共通した理由のほか、雇用環境などこの世代以降に特有の理由があるのかもしれません。

※地元・大倉山の梅祭りです。

 

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