保険代理店向けメールマガジンInswatch Vol.1268(2025.2.10)に寄稿した記事を当ブログでもご紹介いたします。
福岡でも積雪を覚悟していたのですが、市内ではほとんど積もることはなく、拍子抜けでした。北九州や佐賀ではだいぶ積もったようなので、不思議なものです。
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雪害の補償
この冬1番の強い寒波の影響で、福岡市の最低気温は氷点下まで下がりました。雪害を被った全国の皆さまにお見舞い申し上げます。
火災保険が実質的に「自然災害保険」になって久しいとはいえ、風水災害だけではなく、雪による災害も火災保険の補償対象となっていることを知らない契約者は意外に多いのではないでしょうか。特に、普段はあまり積雪のない地域では、雪害補償を知らせるいい機会かもしれません。
火災保険のルーツ
もともと火災保険は、文字どおり火災による損害を補償するための保険として登場しました。
イギリスで火災保険が生まれたきっかけは、1666年に発生したロンドン大火と言われています。当時のロンドンではほとんどの家屋が木造で、道路も狭く、この大火によって市街の約8割が燃えてしまいました。
そこで大火後のロンドンでは、非木造の耐火建築が推奨されるとともに、すでに存在していた海上保険をヒントに、火災保険を提供する会社が相次いで設立されました。これが世界の火災保険のルーツの1つとされています。初期の保険会社であっても、火災の発生率や建物の数から保険料を算出していたそうです。
日本での対応
ところで、日本でもロンドン大火と同じころ(1657年)、江戸で明暦(めいれき)の大火が発生し、やはり市街地の大半が焼けてしまいました。その後、道幅を広げるなどの防火対策は取られたものの、大火後の復興期に火災保険のような補償制度が誕生したという記録はなさそうです。
その一方で、江戸幕府は消防制度を充実させていきます。もともとあった大名火消(だいみょうびけし)に加え、大火の翌年には幕府直轄の「定火消(じょうびけし)」を組織しました。さらに18世紀には、町人のための消防組織である町火消(まちびけし)を制度化しています。
ロンドンの消火活動は保険会社が担う
火災保険が生まれた当時のロンドンには、組織的な消防隊がありませんでした。そこで、保険会社は補償を提供するだけではなく、自前の消防隊を持ち、消火活動を行いました。自ら消火活動を行うことで、保険金の支払いを減らそうとしたのですね。火災保険の加入者の家には保険会社の「ファイアマーク」が掲げられ、消火活動の目印となっていました。
ロンドンの消防組織が公営となるのは19世紀になってからです。
同じ17世紀の大火の後、イギリスでは火災保険が生まれ、日本では公的な消防組織ができたのは、あくまで素人考えですが、当時の社会構造の違いが大きかったように思います。
当時のイギリスはピューリタン革命後の王政復古の時代で、王権が絶対的なものではなく、かつ、海上貿易で覇権争いをしていた時代でした。力をつけた商人たちには、自らの財産を自らで守るニーズがあったはずです。そこで、公的な消防組織が整備される前に、民間で消火活動を行う火災保険会社が誕生したのではないでしょうか。
他方、当時の日本は江戸幕府による統治が安定期を迎える一方、貨幣経済の発達はこれからという時代でしたので、イギリスのような民間による民間のためのしくみが登場する素地はなかったと考えられます。
なお、火災保険には他にも源流があります。民間が主体のイギリスとは違い、17世紀のドイツ(ハンブルク)では、規模の小さい複数の相互扶助組織を一本化して、公営の火災保険組織が誕生しました。
明治時代の日本では、当初このドイツの公営火災保険制度の導入を検討したそうです。しかし、政府は最終的には民営を採用し、1888年に日本初の火災保険会社として東京火災保険会社(現在の損害保険ジャパン)が業務を始めました。
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※いつものように個人的なコメントということでお願いします。
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