あれから25年というのは、2000年3月8日に中目黒駅の近くで起きた日比谷線の脱線衝突事故で、あれから30年というのは、1995年3月20日のオウム真理教による地下鉄サリン事件です。
私は東京勤務の時は東急東横線と地下鉄日比谷線をよく使っていて、どちらの事件もギリギリのところで巻き込まれずに済んだという経験をしています。
地下鉄サリン事件が発生した1995年当時、私は茅場町のオフィスに毎朝8時ころ出勤する生活をしていました。しかし、この日はなぜか1つ前の八丁堀駅で電車が動かなくなってしまったので、そこからオフィスに向かいました。何となく周りが騒然としていたとはいえ、好奇心旺盛の私でも様子を見に行こうとは考えなかったので、それほど異常な事態が起きているとは現地では全くわからなかったのでしょう。
もっとも、いま思えば、様子を見に行かなくてよかったですよね。自分が乗っていた車両ではなかったようですが、車内に毒ガスがまかれたのですから。
なお、以前のブログで事件当日の聖路加国際病院の奮闘について取り上げていますので、よろしければこちらもご覧ください。
日比谷線の脱線衝突事故では、事故にあった車両に乗っていた乗客5人が死亡しました。事故が起きたのは9時ころで、中目黒駅に入ってくる列車の一番後ろの車両が脱線し、はみ出したところに、中目黒駅を出発した列車が通りかかり、途中の車両がぶつかってしまいました。
当時の勤務先は確か人形町で、私は5年前のような早起き生活ではなかったので、ニアミスとなってしまいました。当時まだ走っていた東横線から日比谷線に直通する電車に乗っていたところ、2つ前の学芸大学駅で動かなくなりました。幸い座席を確保していたので、会社でやろうと思っていた原稿チェックを車内でしていたのですが、事故が発生したという車内アナウンスがあるだけで、何が起きているのかさっぱりわかりませんでした。ただし、そのうちヘリコプターが何台も飛んできたので、どうやら普通の事故ではなさそうだとは思いました。
2時間くらいたってようやく電車が動き出し(日比谷線は不通でしたが、東横線が再開)、中目黒駅を出たところで事故車両が見えましたが、反対側だったのでよくわかりませんでした。しかし、帰りに同じ場所を通ったら、ある車両の側面だけがめちゃくちゃに壊れていて、これにもびっくりしました。
こうした事件・事故をメディアが節目の時に取り上げるのは、意味があることだと思います。
リスクをゼロにはできませんが、リスクマネジメントに関わる者として、過去に起きた事件・事故から学ぶことはたくさんあると考えています。
※京都・曼殊院の盲亀浮木之庭です。