裁判官の独立性

4月からNHKの朝ドラ(朝トラ?)を楽しく観ています。
今週(4/29-5/3)は、その前の週の楽しそうなキャンパスライフから一転し、主人公の父が大物政治家による陰謀(共亜事件)に巻き込まれてしまい、主人公たちが恩師とともに裁判で闘うという話でした。

(以下、ネタバレあり)
この事件は実際に1934年に起きた「帝人事件」をモデルにしています。帝国人造絹糸株式会社の株式売買をめぐる汚職疑惑で大蔵省の高官や帝人の社長、台湾銀行の頭取などが次々に逮捕・起訴され、内閣総辞職にまで発展しました。保険関係では富国徴兵保険の支配人だった小林中さんも検挙されています。
しかし、裁判で検察による過酷な取り調べと自白の強要が明らかになり、起訴された被告16名は全員無罪となりました。判決で裁判官は「検事の主張の虚構なること、水中の月影を掬するがごとし」と検察を強く批判しました(ドラマにも同じセリフが出てきましたね)。
大日本帝国憲法のもとでも司法権は行政権から独立していて、帝人事件では裁判所が機能したと言えそうです。

ただし、調べてみると、当時の裁判官は司法大臣(現在の法務大臣)の監督下にあって、司法大臣が裁判官の人事権を持ち、裁判官も検察官も同じ司法官僚として扱われていたそうです。ですから、ドラマの共亜事件で全員無罪となったのは、桂場さんたち裁判官が政府や検察の圧力に屈することなく、相当がんばった結果だということがわかりました。

ちなみに現在の裁判官(最高裁判所を除く)は、最高裁の指名名簿に基づいて内閣が任命することになっていて、さすがに法務大臣の監督下ではありません。

※写真は裁判所ではなく、横浜・大倉山記念館です。

※いつものように個人的なコメントということでお願いします。

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