保険業界の国際シンクタンク組織であるジュネーブ協会が、
日米生保の破綻事例に関するレポートを公表しています。
ジュネーブ協会のサイトへ
日本は主に2000年前後の中堅生保の破綻事例を、
米国はMutual Benefit(1991年破綻)など3社の事例を
取り上げ、いずれも契約者負担を和らげることができ、
金融安定を確保できたと結論付けています。
日本の記述を見ると、
「破綻後の契約条件の変更等がなければ、業界負担が
約6兆円に達した可能性がある(実際には0.78兆円)」
という分析がありました。
負債のデュレーションを15年として試算した数値のようです。
6兆円と0.78兆円の差額を誰が負担したのかといえば、
破綻会社の契約者です(再建スポンサーではありません)。
改めて当時の生保破綻における契約者負担が大きかった
とわかります。
著者の大久保さんには申しわけありませんが、
日本の記述を見て、いくつか気になるところがありました。
米国の事例では、破綻が他のライバル生保の契約に
波及しなかったとのことですが、日本では違いました。
1997年に日産生命が破綻すると、多くの中堅生保で
解約が増えています。「相次ぐ破綻で解約が増えた」と
破綻直後の記者会見でコメントした社長もいました
(東京生命の事例)。
私自身は、解約が殺到して資金繰りに行き詰まり、
破綻に至った会社はなかったという分析をしていますが、
このレポートで当時の解約増について触れていないのは
ちょっと不思議な感じがします。
もう一つ、金融安定ということなので、当時の生保と銀行の
関係について何らかの記述があるとよかったかもしれません。
日本の場合、銀行危機と生保危機が同時進行でした。
当時の両者は今よりも相互に資本(基金や劣後ローンを含む)
を持ち合う関係となっていましたので、連鎖的な経営悪化が
懸念されたと記憶しています。
最終的には、大手銀行を中心に政府が公的資金を投入
(預金者は100%保護)し、連鎖的な経営悪化を避ける一方、
親密銀行からの支援を得られず破綻した生保も数社ありました。
生保が破綻しても銀行は大丈夫、という判断だったのか、
このあたりは私ももう少し知りたいところです。
※箱根旧街道を湯本から芦ノ湖まで歩きました。
石畳の道は歩きにくいです。