西伊豆の松崎に行ってきました。
なまこ壁の建物が残っているところです(写真)。
松崎は今でこそ西伊豆の小さな町にすぎず、
私は漁業の町かと思っていたのですが、
明治時代には養蚕業で繁栄した歴史がありました。
古くから早場繭の産地として知られていたようですが、
養蚕業の近代化をはかるため、あの富岡製糸場に学び、
明治9年には松崎製糸場が設立されています。
松崎の早場繭相場は各地の繭価の標準となったそうです。
高価で手間のかかる「なまこ壁」の建物は、
松崎がいかに繁栄していたかを物語っているのですね。
しかし、各地に鉄道網が発達すると、海上交通が主体の松崎は
徐々に競争力を失っていきます。
さらに、関東大震災により横浜で保管中の生糸が被災した
ダメージが大きかったようです。
ところで、話は現代へと変わります。
平成の市町村合併で、南伊豆地区でも6市町村で
合併する構想が持ち上がりました。
かつては1万人を超えていた松崎町の人口は
約7500人まで減っています。
これといった産業はなく、観光客も減少気味です。
伊豆地区最古の小学校が松崎にあり(明治13年完成)、
その建物は国の重要文化財に指定されているのですが、
隣接する小学校は数年前に廃校になってしまいました。
しかし、松崎町の議会は合併を否決してしまいます。
いくつかの組み合わせが浮上し、住民投票も実施
(合併に前向きな声が多数を占めた)しているのですが、
議会は2009年に合併せずという結論を出しました。
一介の旅行者にはわからない事情があるのでしょう。
ただ、シニア層にはかつての繁栄の記憶が強く残っており、
松崎の名前を捨てられなかったという話を聞きました。
町並みの背景にはいろいろなエピソードがあるのですね。