書評『中華料理と日本人』

週刊金融財政事情(2025年9月23日号)に載った書評「一人一冊」を当ブログでも紹介します。今回は『中華料理と日本人--帝国主義から懐かしの味への100年史』を取り上げました。
振り返ってみると、前回(2025年5月)は『日本庭園のひみつ』、前々回(2025年1月)が『日本の歴史的建造物』、2024年9月が『Z世代化する社会』、2024年6月が『「モノ言う株主」の株式市場原論』、2024年2月が『財閥のマネジメント史』でした。このところ経済・金融以外が目立ちますが、評者の個性ということでご容赦ください。

以下、引用となります。

日本の中華料理の意外な歴史をたどる

先日イスタンブールに滞在し、トルコ料理を味わう機会があった。トルコ料理はフランス料理、中華料理とともに世界三大料理の一つに挙げられることが多い。日本でも知られるケバブはもともと中央アジアの肉の串焼きで、垂直な串に肉を重ねて焼くドネルケバブの他にもさまざまな種類がある。ギリシャ料理のような、茄子やトマト、ピーマンにオリーブオイルを使った料理も多く、ヨーグルトを多用し、ピラフなど米料理もよく食べられている。
これらの料理には、現在のトルコを中心にアジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがる広大な領土を支配した、かつてのオスマン帝国の存在が関係していると考えるのが妥当であろう。

同じようなことが日本における中華料理にも言えるというのが本書の主題である。私たちがイメージしやすい中華料理はたいてい日本式のものであり、餃子やシュウマイ、ラーメンなどは、もはや実質的に日本料理となっている。
例えば、餃子は満州在住の日本人に親しまれ、第二次世界大戦後に満州からの引揚者が主に焼き餃子を提供することで、日本で本格的に普及した。また、北海道の郷土料理とされるジンギスカン料理も、もともと日本の中華料理の一つだった。日本が大陸で勢力を広げていた時期の北京で生まれ、1932年に建国された満州国の名物料理とされ、やがて日本でも広まった。

日本と中国の交流には長い歴史があり、江戸時代の長崎では中国料理をベースにした卓袱(しっぽく)料理が誕生している。ところが、日本の大都市で中華料理が身近な食べ物になったのは意外にも新しく、1920年頃からとのこと。関東大震災後の東京では、中華料理がおいしくて栄養のある料理として受け入れられ、中華料理店や中華料理を兼業する洋食店が増えたという。その後、料理ごとにさまざまな経緯があって、中華料理が日本食の一部へと変わっていったそうだ。

植民地として支配した地域の料理が本国に伝わり、帝国主義の影響下で普及していくという、世界史的な考察は非常に興味深い。たしかに20年頃の日本は台湾、朝鮮半島を支配し、さらには中国東北地方にも進出する植民地帝国だった。英国やフランス、オランダなど当時の欧州列強と同じ現象が日本でも見られたということになる。
ちなみに「カレー」という言葉はイギリス人がインド料理の総称として用いたもので、イギリスからのカレー粉を通じて日本でも広まったとされる。

※写真は肥前浜(佐賀県)の酒蔵通りです。

※いつものように個人的なコメントということでお願いします。

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