公文書の書き換え

国立国会図書館では「調査と情報-Issue Brief-」という、時々の国政上の課題に関する簡潔な解説レポートを出しています。
2月27日号はタイムリーなことに「行政機関における文書管理-国の説明責務に係る論点と改善方策-」で、行政の文書管理制度がどのように変遷してきたかをわかりやすくまとめていました。

本稿によると、日本で国民共有の知的資源としての公文書管理制度が確立したのはつい最近のことだとわかります。久しく行政運営の能率化という内部目的のために行われてきた公文書管理に、情報公開制度の整備が進むなかで、ようやく2011年に「公文書等の管理に関する法律(公文書管理法)」が施行され、「国の活動を現在および将来の国民に説明する責務を全うすること」という目的が加わりました。

しかも、2016年に総務省が実施した「公文書管理に関する行政評価・監視結果報告書」では、公文書管理法の趣旨および公文書管理法に基づくルールについて、文書管理者を含む職員に十分徹底されていない状況にあるという指摘がなされているとわかりました。
本稿ではこうした状況を踏まえ、行政機関内部による改善と、外部の関与による改善を示しています。

今回の件で、公文書(決裁文書)の書き換えが起こりうるとわかってしまった以上、政府はかなりの取り組みをしなければ国民の信頼回復はできません。また、国民も忘れずに追求し続ける必要があります。

記録を残すことも促してほしい

おそらく今後、原因究明を進めるとともに、再発防止策が検討されるでしょう。その際、書き換えが起こらない仕組みを作るだけではなく、ぜひ文書主義の原則を徹底し、個人メモではなく行政文書として記録を残すことを促すような仕組みも作ってほしいと思います。

行政のみならず、日本では文書として記録を残す、あるいは、業務などを文書化するという習慣や文化が総じて薄く、議事録が残らないところで実質的な経営判断が行われていたり、担当者が変わると業務のやり方が大きく変わってしまったりしがちです。
しかし、家業であればまだしも、政府や大会社といった組織において、納税者や株主、債権者、従業員といったステークホルダーから透明性を求められるのは当然の話であって、「内輪の話は外に出さない」では済みません。

そもそも記録に残すのは意思決定を明快に行うためでもありますし、後世の歴史家だけでなく、今の自分たちに役立つ話でもあります。
なぜ記録を残すのか

決裁文書の書き換え発覚という前代未聞の事件を受けて、行政がかえって記録を残さなくなり、透明性が後退してしまうのであれば、文書管理制度を整備してきたこれまでの取り組みが無駄になりかねません。
表面的な書き換えや紛失の防止だけでなく、ぜひ「記録を残す」ことにも配慮した改革に期待したいです。

※小田急の複々線化がついに完成しましたね。いつか赤いロマンスカー(GSE)にも乗ってみたいです。

※いつものように個人的なコメントということでお願いします。

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