きょう17日は阪神・淡路大震災の発生から15年ということで、
兵庫県などが主催する追悼式をはじめ、様々な追悼行事が行われています。
当時の私は鉄道会社を担当していました(保険担当ではなかったのです)。
さすがに震災直後の現地入りはかないませんでしたが、
4月上旬に阪神地区を訪れ、インタビューに加え、実地調査を行いました。
確かJRが復旧したばかりのタイミングだったように思います。
震災から2カ月弱たっていたとはいえ、多くの建物は崩れたまま、
道路はがたがたで歩きにくく、空気はほこりだらけでした。
しかし、三宮から電車で15分くらいの大阪は全く普通の状態で、
あまりのコントラストに衝撃を受けた記憶があります。
当時の調査メモをみると、次のようなことが書いてありました。
「(ある銀行の)取引先の社長で亡くなった人はいない。金持ちは強かった。
金持ちでなく、会社のサポートもなく、古い家に住む弱い立場の人が
一番ダメージを受け、現在でも困難が続いている感じ」
「テレビでは『避難所リーダーがんばる』といったものが目立つが、
実際にはリーダーになれるような人は会社に出勤してしまい、
女性は軽視されることが多く、リーダー不在が目立つ」
地震予測の技術が進んだとはいえ、いつどこで同じような被害が
発生しても不思議ではありません。
まずは家族で万一のときにはどうするか、話をしようと思います。
※横浜の山下公園です。この公園は関東大震災の復興事業として
がれきを埋め立てて作られたそうです。