なぜ記録を残すのか

 

年末の片付けをしていたら、御厨貴先生の新聞記事
「公文書管理 記録残さぬ風土 戦後から」が出てきました
(4/30の読売)。

日本には議事録や記録を公文書として残す伝統が
存在しなかったのではなく、敗戦後、大量の公文書を
焼却したうえ、その後の占領統治のなかで、議事録や
記録をなるべく残さぬことが普通になっていったのだそうです。

民間でもリスクマネジメントを構築するとなると、
やれ文書化だ、やれ記録だと、いろいろ面倒なこと(?)
を求められますよね。

なぜ記録を残さなければならないのか。
御厨先生は記事のなかでこう語っています。

 後世に残すためのアーカイブ化と言うと、ずっと後の
 歴史家のために、なぜ今の決済に忙しい我々がという
 官僚諸氏の不平不満が聞こえてくる。そうではないのだ。

 今の決済や決定を明快に行うためにも、記録や議事録という
 同時並行的によりそうブツの存在が必要なのだ。
 そう、今やっている自分を、もう一人の自分がじっと眺めている
 とでも言おうか。

 そしてそうした記録や議事録は、そう遠くない将来、
 同様のコトが起きた場合、まさにすぐさま応用が利く
 成果をもたらすはずだ。

政府でも民間でも同じことだと思います。

※写真はダイコン畑と直売所。三崎まぐろ祭りの帰りに立ち寄りました。
 皆さん、来年もよろしくお願いいたします。

※いつものように個人的なコメントということでお願いします。

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