植村信保のブログ

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2016年08月07日

函館五稜郭

 

夏休みに函館に行き、夜景や町歩きを楽しみました。

横浜と同様に、開港により大きく発展した函館ですが、
北洋漁業や造船業が厳しくなった1980年代あたりから
衰退がはじまり、近年では人口流出が著しいようです。


写真は五稜郭と、その中にある旧函館(箱館)奉行所です。

城好きではなくても、この不思議な形をした城郭を
ご存じのかたは多いと思います。

五稜郭は開港した箱館の要として置かれた箱館奉行所を
取り囲む城郭(土塁)として1864年に完成しました。
日本で初めての西洋式城郭です。

どうして幕末にこのような形の城ができたかというと、
設計を担当した蘭学者の武田斐三郎が、フランス軍艦から
伝わったヨーロッパ式の築城術を参考にしたためだそうです。

武田斐三郎は佐久間象山の西洋兵学塾で砲術や築城術を
学んだ人物ですから、従来の日本式の築城ではだめだと
考えたのかもしれません。


五稜郭には、大砲や小銃による銃撃戦を想定した工夫が
随所にみられます。

先端部を鋭角にすることで死角をなくし、侵入した敵には
十字砲火を浴びせることができました。

城郭の内部には大砲の標的になる高い建物を置かず、
大砲の衝撃を吸収できるように、石垣(土塁)は低く、
厚みがあります。

立地面でも工夫がみられます。
当時の大砲の射程距離を意識し、港から3km離れた内陸に
建てられました。近くを流れる亀田川の水も活用できます。


このような五稜郭ですが、その後戊辰戦争(箱館戦争)の
舞台となり、落城してしまいます。

新政府軍の軍艦の大砲は最新型だったので、
内陸に作った五稜郭にも砲弾が届いてしまいました。

しかも、「大砲の標的になりそうな高い建物を置かない」
と書きましたが、右の写真のように、箱舘奉行所の上部に
太鼓楼があり、これが艦砲射撃の標的となったようです。

最新型の城だったのか、時代遅れだったのか。
そんなことを考えつつタワーから城を眺めました。


※いつものように個人的なコメントということでお願いします。


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