植村信保のブログ

保険アナリスト植村信保のブログ

2016年08月20日

鉄分の濃さを感じるとき

 

前回のブログ(マイナス金利政策の副作用)は
いつもよりアクセスが多かったようです。
果たして9月の日銀「総括的な検証」はどうなるか。


さて、今回は一転して夏休みモードですみません。
鉄分といっても栄養素ではなく、鉄道のほうです。

時々ブログに鉄道関連の写真を載せるので、
私が電車好きであることがうかがえると思います。

とはいえ、本物の鉄道ファン(?)に比べると、
知識も行動力もまだまだだと思います^^


それでも、自分で「鉄分の濃さを感じるとき」が
時々あります。

1.電車の走行音に反応してしまう

最近の新しいビルだと、すぐ隣りを電車が走っても
ほとんど何も聞こえず楽しくないのですが、
少し古い建物だと、電車の走行音が聞こえますよね。

電車の音が聞こえると、ついそちらを見てしまい、
周りの人に怪訝な顔をされてしまいます
(ちなみに音だけではなく、姿が見えても反応します)。

身近なところで思いつくスポットは、淡路町にある
某協会(損保ですね)のビルでしょうか。

先日もセミナーの講師を務めるため伺いましたが、
隣りに中央線や総武線がゴトゴトと頻繁に走る、
楽しいところです。

もちろん、電車が通るたびにスピーチが途切れたりは
しませんでしたので、ご安心ください。


2.窓側の席に座りたがる

通勤電車のベンチシートではなく、新幹線のような
座席配置の場合、私は好んで窓側の席を選びます。
窓からの景色をボーっと眺めるのが好きなのです。

数週間前に京急線の快速特急に乗る機会があり、
関東では珍しい、新幹線のような座席配置の電車でした。
これなら三浦半島からの長距離通勤も苦になりません。

ごくたまに困ったことが起こります。

日本の新幹線には、座席ごとに窓がありますよね。
ところが、古いタイプの特急や海外の新幹線などでは、
2列の座席で窓一つという配置も結構多いのです。

普通の人にとって、鉄道は単なる移動手段なので、
皆さん、かなりの確率でブラインドを下げようとします。

景色を眺めていたい私には、前(または後ろ)の人が
いつブラインドを下げようとするか、ドキドキものなのです。

前後の人がブラインドを下げようとしたら、どうするのか?
...ご想像にお任せいたします。


3.車内を見渡す

最近まで自覚していなかったのですが、あるとき指摘され、
気が付いた習慣です。

私は電車に乗ると、無意識に車内をチェックしているようで、
いつも乗る東横線の車両と、座席の特徴や窓の大きさ、
網棚の形、製造年や製造した場所、あるいは広告の傾向
などの違いを見つけては、喜んでいるように思います。

同じ4つ扉の通勤電車でも、よく見ると結構違うものです。

例えば、東京メトロの古い車両(東横線でも走っています)
の窓は、私の目線よりも低く、かつ、小さくて嫌いなのですが、
当時は地下鉄の窓は小さくていいという考えだったのかも
しれません。

珍しい車両に乗るとうれしくなります。
所要のため相鉄線に乗ったら、「パワーウィンドウ」「鏡」
のある電車が健在で、思わずニンマリしました
...これは鉄分がかなり濃いコメントかもしれませんね。


自覚しているだけで、これだけ思い当たるのですから、
無自覚な行動はもっとあるのでしょうね。


※いつものように個人的なコメントということでお願いします。

※写真は函館の市電です。

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2016年08月07日

函館五稜郭

 

夏休みに函館に行き、夜景や町歩きを楽しみました。

横浜と同様に、開港により大きく発展した函館ですが、
北洋漁業や造船業が厳しくなった1980年代あたりから
衰退がはじまり、近年では人口流出が著しいようです。


写真は五稜郭と、その中にある旧函館(箱館)奉行所です。

城好きではなくても、この不思議な形をした城郭を
ご存じのかたは多いと思います。

五稜郭は開港した箱館の要として置かれた箱館奉行所を
取り囲む城郭(土塁)として1864年に完成しました。
日本で初めての西洋式城郭です。

どうして幕末にこのような形の城ができたかというと、
設計を担当した蘭学者の武田斐三郎が、フランス軍艦から
伝わったヨーロッパ式の築城術を参考にしたためだそうです。

武田斐三郎は佐久間象山の西洋兵学塾で砲術や築城術を
学んだ人物ですから、従来の日本式の築城ではだめだと
考えたのかもしれません。


五稜郭には、大砲や小銃による銃撃戦を想定した工夫が
随所にみられます。

先端部を鋭角にすることで死角をなくし、侵入した敵には
十字砲火を浴びせることができました。

城郭の内部には大砲の標的になる高い建物を置かず、
大砲の衝撃を吸収できるように、石垣(土塁)は低く、
厚みがあります。

立地面でも工夫がみられます。
当時の大砲の射程距離を意識し、港から3km離れた内陸に
建てられました。近くを流れる亀田川の水も活用できます。


このような五稜郭ですが、その後戊辰戦争(箱館戦争)の
舞台となり、落城してしまいます。

新政府軍の軍艦の大砲は最新型だったので、
内陸に作った五稜郭にも砲弾が届いてしまいました。

しかも、「大砲の標的になりそうな高い建物を置かない」
と書きましたが、右の写真のように、箱舘奉行所の上部に
太鼓楼があり、これが艦砲射撃の標的となったようです。

最新型の城だったのか、時代遅れだったのか。
そんなことを考えつつタワーから城を眺めました。


※いつものように個人的なコメントということでお願いします。


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