植村信保のブログ

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2014年09月21日

横浜でも小学校が統合

 

先日、元・日本一小さい村の小中学校が統廃合される
という話を書きました。「日本一小さな村」のその後

ところが、けさの新聞で私の母校(横浜市立左近山第一小学校)が
児童数の減少により、1年半前に統合されていたと知りました。
3つの小学校(左近山第一小、左近山第二小、左近山小高小)が
2013年4月に統合し、左近山小学校として再出発したのだそうです。

日本で一番人口が多い横浜市で、どうして小学校が統合なの?
と思われるかもしれませんが、この学校はマンモス団地にあり、
住民の少子高齢化が進んだことによるものでした。
それにしても、これほど少子化が進んでいたとはびっくりです。


左近山団地は旧・日本住宅公団が1968年(昭和43年)に開発した
分譲2600戸、賃貸2100戸の大規模団地です。

当時は高度成長期で、団地暮らしは憧れの的だったとか。
ただ、大規模団地では同時期に入居した住民が一斉に高齢となり、
同じ状況が多摩ニュータウンや高島平団地でも起きています。
いまや左近山の65歳以上人口は4割を超えているそうです
(ちなみに横浜市全体では22%)。

私は左近山第一小を卒業するまで、この団地で暮らしていました。
ネットで見つけたタウンニュースの記事には、
ピーク時の第一小の児童数は1909人(1976年)とあります。
確かに、3つめの小学校が1977年にできるまでは、
校庭にプレハブ校舎が立ち並び、運動会ができないほどでした。

しかし、その後は団地を離れる人が増えていきます。
わが家も1979年に団地暮らしを卒業しました。
第一小学校の児童数は、1995年には500人を割りこみ、
1999年以降は300人前後で推移していたようです。

左近山団地は緑が多く、子どもにはいい環境でした。
でも、最寄の駅(相鉄線の二俣川駅)からバスで15分かかり、
父が東京方面に通勤するのは結構大変だったと思います。

それに、団地サイズの3DKは、家族5人には窮屈です。
風呂も小さかった(正確には、引越先の風呂が大きくて感動した)。

こうして若い世代を中心に住民の流出が続き、
私の親世代の住民が残り、現在に至ったというわけです。


今後はどうなるのでしょうか。
私の親世代(概ね70歳台)が住民の中心ということなので、
このままでは20年たつと、住民が劇的に減ってしまいます。

これに対し、団地再生に向けた動きもあるようです。
横浜市は今年になって、左近山団地を支援団地に選び、
地元管理組合とともに、空き家対策やバリアフリー化など、
団地の活性化に取り組んでいくそうです。

新しい住民を直接呼び込む話ではなさそうですが、
まずは今の住環境を良くしていくことから、ということでしょうか。


※いつものように個人的なコメントということでお願いします。

※写真は2011年の左近山団地。サイクリングで立ち寄りました。


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2014年09月07日

「日本一小さな村」のその後

 

息子から余った青春18きっぷを譲り受け(奪い取り?)、
飯田線の旅を楽しんできました。

飯田線は愛知県の豊橋と長野県の辰野を結ぶ
全長195キロのローカル線です。
駅の数が多いこともあり、全線を一気に走破しようとすると、
各駅停車で6時間くらいかかります。

さすがにそれは厳しいというか、もったいないので、
大嵐(「おおぞれ」と読みます)駅で途中下車。

この駅を選んだのは、歩いて15分ほどのところに、
日本一小さな村として知られていた旧・富山(とみやま)村
(合併により、今は豊根村の一部)があるのを知ったからです。

8時過ぎに豊橋駅を出発した2両編成の各駅停車は、
途中の中部天竜駅で27分も停車したりしながら、
3時間後の11時15分に大嵐駅に着きました。
次は13時14分発まで電車がありません。

大嵐駅は静岡県浜松市にありますが、駅を出てすぐの、
天竜川にかかる立派なつり橋を渡ると愛知県です。
しばらく佐久間ダム湖に沿った道を歩くと、旧富山村の
集落が見えてきました。

戦前には1500人近い住民がいた時代もあったそうですが、
過疎化が進んだうえ、1955年に佐久間ダムができたことで
村の中心が水没し、1983年には日本最小の村となりました。

富山地区の中心部には、村役場(今は豊根村富山支所)や
郵便局、警察や消防の駐在所、旅館などがあり、
村として独立していた時代を彷彿させます。

階段を上がり、集落の中に入ると、立派な建物がありました。
人の気配がしたので話を聞いたところ、この「清山荘」は、
旧富山村が地域活性化のため30年前から取り組んできた
長期山村留学の拠点でした。

留学生は親元を離れ、清山荘で寝起きをともにし、
平日は地元の富山小中学校に通います。
山村留学の体験者は100人を超えるとのこと。
地元の子どもたちの刺激にもなったことでしょう。

しかし、残念な話を聞きました。
今年度いっぱいで富山小中学校が閉校してしまうため、
山村留学も3月で休止となるのだそうです。

富山地区の人口は「日本一小さな村」と呼ばれた時代
(約200人)から一段と減ってしまい、今や100人強です。
小中学校の児童・生徒数は18人(児童13人、生徒5人)で、
このうち山村留学の児童・生徒が11人を占めています。

丘の上にある小中学校に行くと、屋根のある運動場で、
7、8人の子どもたちが体操の練習をしていました。
学年を超えた活動のようです。

ただ、校舎の老朽化が進み、耐震工事が必要とのこと。
豊根村にも余裕はなく、廃校という道を選んだのでしょう。

中心部に戻り、富山地区でただ一つの商店へ。
何か食べるものはないか尋ねたところ、
「うーん、お菓子しかないなあ。誰も買わないからねぇ」
という返事でした。

ローカル線の旅は、どこかほろ苦いですね。


※いつものように個人的なコメントということでお願いします。


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